「いいね!」は会話ではない。1ビットの社交を捨て、肉声を取り戻す【『デジタル・ミニマリスト』3/3】
1ビットの「会話」という異常
もし現実世界で、友人の話に対して無言で「親指を立てるサイン」だけをして立ち去ったとしたら、それは奇妙な光景だろう。だが、デジタル空間において我々は、毎日それを何十回、何百回と繰り返している。 SNSの「いいね!(Like)」ボタンは、確かに効率的な機能だ。たったワンクリックで「見ましたよ」「素敵ですね」という意思表示ができる。だが、カル・ニューポートは著書『デジタル・ミニマリスト』の中で、これを「1ビットの情報量しかない」極めて貧弱なやり取りだと切り捨てる。
本来、生身の人間同士のコミュニケーションは、もっと情報密度が高いものだ。声のトーン、表情の微細な変化、間の取り方。そうした膨大な「アナログ情報」を処理するように我々の脳は進化してきた。 著者はこれを通信回線の太さに例えて「高帯域(High Bandwidth)」な通信と呼ぶ。対して、ボタン一つのやり取りは、あまりに情報が痩せ細っている。著者はそれを、手軽だが栄養のない「社交のファストフード」と呼んで警鐘を鳴らしている。ファストフードばかり食べていれば体を壊すように、デジタルの「いいね!」ばかり摂取していれば、我々の社会性は栄養失調に陥るのだ。
「接続」と「会話」の取り違え
この「いいね!問題」の本質は、我々が「接続(Connection)」と「会話(Conversation)」を混同してしまっている点にある。 「接続」とは、テキストやスタンプだけの、情報の少ない「低帯域(Low Bandwidth)」な接触だ。一方、「会話」とは、相手の感情やニュアンスまで伝わる、情報の多い「高帯域」な交流だ。我々は「接続」を過剰摂取することで、あたかも「会話」をしているかのような錯覚に陥っていると著者は指摘する。
一見すると、「いいね!」を押し合うことで、友人との関係は維持されているように思える。だがそれは、「あなたには電話をかけて話すほどの時間は割けないが、ボタンを押すくらいの関心はある」という、極めて効率化された、悪く言えば手抜きの意思表示に過ぎないのかもしれない。 この「効率的な社交」が、時間をかけて育むべき「泥臭い人間関係」を駆逐しようとしている。何百人もの「薄い友人」と繋がるために、本当に大切な「濃い友人」との対話がおろそかになっているなら、それは本末転倒ではないか。
社交を断捨離する実験
では、どうすればいいのか。本書が提案する「会話中心のアプローチ(Conversation-Centric Approach)」は、なかなか過激で魅力的だ。つまりは、著者は「『いいね!』を押すのをやめてみてはどうか?」と提案する。
デジタル上での希薄なやり取りを、一切やめてみるのだ。そうすると何が起きるか? ただ何となく「いいね!」だけで繋がっていた弱い関係は、自然とフェードアウトしていくだろう。 だが、本当に大切な友人とは、それでは済まなくなる。彼らの近況を知るためには、電話をかけたり、実際に会って食事をしたりするしかなくなるからだ。 結果として残るのは、数百人の「フォロワー」ではなく、数人の「友人」だ。人類の歴史上、何百人もの知人と常に緩く繋がり続ける必要など、本当にあったのだろうか。この実験は、それを問い直す良い機会になるはずだ。
「ときめき」だけを残す
この人間関係の断捨離において、最強の指針となる本がある。近藤麻理恵(こんまり)の『人生がときめく片づけの魔法』だ。 彼女のメソッドはシンプルだ。「触った瞬間にときめく(Spark Joy)モノだけを残し、そうでないモノには感謝して手放す」。
これはモノだけでなく、デジタルな人間関係にもそのまま適用できる。 スマホの連絡先リストや、SNSのフォロー欄を見てほしい。その人の名前を見た時、心がときめくか? 「会って話したい」と直感的に思うか? もし答えがNoなら、その関係は「役目」を終えているのかもしれない。「今までありがとう」と感謝して、ミュートするか、フォローを外す。 そうしてノイズを取り除いた後に残った数少ない人たちこそが、あなたが時間という命を使って「会話」すべき相手だ。デジタル・ミニマリズムとは、テクノロジーの否定ではない。本当に大切な「ときめき」にリソースを集中させるための、愛ある選別作業なのだ。