教養・コラム

「いいね!」は会話なのだろうか

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1ビットの「会話」

もし現実世界で、友人の話に対して無言で「親指を立てるサイン」だけをして立ち去ったとしたら、それは奇妙な光景だろう。 だが、デジタル空間において我々は、毎日それを何十回、何百回と繰り返している。

SNSの「いいね!(Like)」ボタンは、確かに効率的な機能だ。 たったワンクリックで「見ましたよ」「素敵ですね」という意思表示ができる。 だが、カル・ニューポートはこの著書の中で、これを**「1ビットの情報量しかない」**極めて貧弱なやり取りだと切り捨てる。

本来、生身の人間同士のコミュニケーションは、もっと情報密度が高いものだ。 声のトーン、表情の微細な変化、間の取り方。そうした膨大な「アナログ情報」を処理するように我々の脳は進化してきた。

著者はこれを通信回線の太さに例えて「高帯域(High Band Width)」な通信と呼ぶ。 対して、ボタン一つのやり取りは、あまりに情報が痩せ細っている。 著者はそれを、手軽だが栄養のない「社交のファストフード」と呼んで警鐘を鳴らしている。

「接続」と「会話」の取り違え

この「いいね!問題」の本質は、我々が「接続(Connection)」と「会話(Conversation)」を混同してしまっている点にある。

「接続」とは、テキストやスタンプだけの、情報の少ない「低帯域(Low Band Width)」な接触だ。 一方、「会話」とは、相手の感情やニュアンスまで伝わる、情報の多い「高帯域」な交流だ。我々は「接続」を過剰摂取することで、あたかも「会話」をしているかのような錯覚に陥っていると著者は指摘する。

一見すると、「いいね!」を押し合うことで、友人との関係は維持されているように思える。だがそれは、「あなたには電話をかけて話すほどの時間は割けないが、ボタンを押すくらいの関心はある」という、極めて効率化された、悪く言えば手抜きの意思表示に過ぎないのかもしれない。

この「効率的な社交」が、時間をかけて育むべき「泥臭い人間関係」を駆逐しようとしている。

社交を断捨離する実験

では、どうすればいいのか。本書が提案する「会話中心のアプローチ(Conversation Centric Approach)」は、なかなか過激で魅力的だ。 つまりは、著者は「『いいね!』を押すのをやめてみてはどうか?」と提案する。

デジタル上での希薄なやり取りを、一切やめてみるのだ。 そうすると何が起きるか? ただ何となく「いいね!」だけで繋がっていた弱い関係は、自然とフェードアウトしていくだろう。 だが、本当に大切な友人とは、それでは済まなくなる。 彼らの近況を知るためには、電話をかけたり、実際に会って食事をしたりするしかなくなるからだ。

結果として残るのは、数百人の「フォロワー」ではなく、数人の「友人」だ。 人類の歴史上、何百人もの知人と常に緩くつながり続ける必要など、本当にあったのだろうか。 この実験は、それを問い直す良い機会になるはずだ。

今日のコツ:肉声で伝えてみる

SNSが「今日は〇〇さんの誕生日です」と通知してきても、タイムラインに「おめでとう」と書き込んだり、スタンプを貼るのを一度やめてみるのはどうだろう。

ただ、もしその人が、本当に大切にお祝いしたい友人なら、電話をかけるか、せめて肉声に近い長文のメールを送ってみる。……そもそも通知で知るような間柄が本当に大切にしたい友人なのかはハテナだが。

もし電話するほどでもない相手なら? 何もしないという選択肢も、また一つの誠実さなのかもしれない。

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