荷物が重いのは、君が「未来」に怯えているから。ウルトラライトという名の宗教【『トレイルズ』2/3】
荷物が重いのは、未来への「恐れ」の表れか
あなたは、日々の生活で「もしも」のためにと、多くの荷物を抱え込んでいないだろうか。旅に出る時も、必要以上に多くの持ち物を用意していないだろうか。実はその荷物の重さが、未来への不安を物質化したものだと指摘する見方がある。『トレイルズ 「道」と歩くことの哲学』を著したジャーナリスト・旅行作家のロバート・ムーア氏は、5ヶ月に及ぶアパラチアン・トレイルの縦走を通じて、荷物を減らすことの哲学を深めていく。この壮大な旅で、同氏が見出した「荷物」と「不安」の意外な関係性、そしてウルトラライトという生き方について考察する。
ウルトラライト化で知る「荷物の重さは未来への不安の物質化」という真実
アパラチアン・トレイルを縦走する際、同氏はハイカーたちから得た貴重な教訓の一つとして、重量が成功の敵であることを知る。そこで、信頼していた重いパックを引退させ、新しいウルトラライトパックを導入する。分厚いテントをハンモックに、ダウンの寝袋を軽量なものに、革製のブーツをトレイルランニングシューズに交換するなど、徹底した軽量化を進めた。メディキットは下痢止め薬やヨウ素綿棒、ダクトテープの小さなロール、安全ピン数本にまで絞り込んだ。ホワイトガソリンストーブも、コカ・コーラのアルミ缶2本で作られた、ほとんど重さのないものに置き換える。
あらゆる装備を新しいパックに詰め込み、初めて持ち上げた時、同氏は驚きと共にわずかな恐怖を覚えた。その荷物は、5ヶ月間も人間を収容し、衣食を与えるにはあまりにも頼りなく感じられたからだ。しかし、この軽量化の哲学は、単に物理的な重さを減らすことに留まらない。ウルトラライトハイカーの間では、「重い荷物は未来への不安の物質化である」という信念が共有されているという。つまり、あらゆる「もしも」の事態に備えて荷物を増やす行為は、未来への不確実性に対する恐れの現れなのだ。
装備が少ないほど研ぎ澄まされる感覚と、道との対話
アパラチアン・トレイルでの数ヶ月間、同氏は次第に「歩く」という行為のために身体が作り変えられていくことを体感する。歩幅は広がり、靴擦れはタコになり、余分な脂肪とかなりの筋肉が燃料に変換された。さらに、同氏の心もまた、微妙に変化していった。伝説的なハイカーのニンブルウィル・ノマドは、アパラチアン・トレイル縦走を諦めるハイカーの8割が、身体的な理由ではなく精神的な理由で断念すると語っていた。同氏もまた、東部の森の修道僧のような静寂を受け入れることを学び、時折、完璧に近い精神の明晰さ、つまり穏やかで澄み切った無思考の状態に陥ったという。禅の賢者たちが言うように、ただ歩くという境地に至ったのだ。
重い荷物から解放されることで、同氏は外界からの刺激に対する感受性が高まった。足元の道の小さな変化、風の囁き、森の匂い、遠くの動物の気配など、これまで見過ごしていた多くの感覚が研ぎ澄まされていった。装備が少なければ少ないほど、ハイカーは自身の体と感覚に集中する。その結果、道は単なる移動手段ではなく、自分自身と対話するパートナーへと変化していく。道が示す微細なヒントを読み取り、それに応じることで、ハイカーは道の一部となり、道がハイカー自身を作り変えていくという逆説的な経験を得るのである。
「必要最低限」が教えてくれる、本当に大切なもの
ロバート・ムーア氏がアパラチアン・トレイルを縦走し終えた後も、その経験は彼の中に残り続けた。彼が「ニンブルウィル・ノマド」という名で知られるハイカー、M. J. エバーハートに出会った時の話は、その哲学を象徴している。エバーハートは生涯で数万マイル以上を歩き、足の爪の手術を受けたことでも知られていた。これは感染症を避けるためだが、彼が徹底したミニマリズムの象徴でもある。彼は常にわずか数キログラムの荷物しか背負わず、調理器具もスプーン1本とライターのみだったという。食料も最小限に抑え、安価なロードサイドのダイナーやガソリンスタンドで調達していた。
このような極端なミニマリズムは、「森の中にいる目的を損なう」と批判されることもあったが、エバーハートにとっては、技術の進んだ現代世界と自然との境界線を尊重しない生き方そのものであった。荷物を減らすことは、怪我、不快感、退屈、攻撃への恐怖など、あらゆる種類の恐れを手放すプロセスであると同氏は考える。究極のミニマリストでさえ手放すのに苦労する最後の恐怖は飢餓だというが、エバーハートは緊急用の菓子バーさえも持ち歩かなかった。本当に必要なものだけを持つことで、人は何が本当に大切なのか、何が自分を縛り付けているのかを見つめ直すことができるのである。
人生の荷物を軽くすることは、より遠くへ行くための準備だ
ロバート・ムーア氏は、アパラチアン・トレイルの旅を通じて、荷物の重さが未来への不安の物質化であることを学ぶ。そして、その荷物を減らすことで、感覚が研ぎ澄まされ、道との対話が始まり、本当に大切なものが見えてくるという逆説的な真実にたどり着いた。私たちの人生もまた、無数の「道」の連続であり、その道の先には常に未知が広がっている。
もしあなたが日々の生活で重い荷物を抱え込み、身動きが取れないと感じているのなら、立ち止まってその「荷物」が本当に必要か問いかけるべきだろう。それは物理的な荷物かもしれないし、固定観念や他人の期待、あるいは未来への漠然とした不安かもしれない。人生の荷物を軽くすることは、より遠くへ、より自由に、自分らしく歩んでいくための重要な準備となるはずだ。そうした一歩を踏み出すために、まずは足元から見つめ直すことが有効だ。
足元を見つめ直し、人生の道を歩む準備を始めるための一歩として、機能性と快適性を兼ね備えたトレッキングシューズを選ぶことは重要である。この旅の哲学を足元から体現するために、ぜひ「メレル トレッキングシューズ」を履いてみてはどうだろうか。軽快な歩行は、あなたの足取りを軽くし、新たな視点をもたらしてくれるはずだ。
Kの視点
本文はウルトラライト哲学と「荷物=不安の物質化」という主題を丁寧に解説しているが、原書を読むと、この軽量化の話はムーアにとってむしろ導入部に過ぎないことがわかる。プロローグで彼が強調するのは、荷物の重さではなく「従うこと」の哲学だ。「On a trail, to walk is to follow」——彼はそう書く。地図も持たず、トレイルという一本の線だけを頼りにした5ヶ月の縦走で彼が直面したのは、自由とは選択肢の消去であるという逆説だった。「The freedom of the trail is riverine, not oceanic」という一文は、本文が掲げる「荷物を減らして自由になる」という読み方を、もう一段深いところから問い直している。
ニンブルウィル・ノマドの極端なミニマリズムについても、原書の文脈ではやや異なる位置づけがある。ムーアが本当に驚いたのは装備の少なさではなく、8割のハイカーが肉体的ではなく精神的理由で脱落するという事実——「They just can’t deal with the daily, the weekly, the monthly challenge of being out there in the quiet」——であり、沈黙に耐えられるかどうかが試されているという点だ。荷物を捨てることは手段であって、目的は「静寂と和解すること」にある。日本の「身軽に生きよ」系の自己啓発文脈でこの本を読むと、この核心部分がすり抜けやすい。 — K