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荷物が重いのは、君が「未来」に怯えているから。

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泥と雨の「5ヶ月間」

ハイキングと聞いて、晴れた日の優雅な森林浴や、山頂での美味しいコーヒーを想像するなら、『トレイルズ』の著者ロバート・ムーアの体験談を聞くと膝から崩れ落ちるかもしれない。

2009年、彼はアメリカ東部を貫くアパラチアン・トレイルの完全踏破(スルーハイク)に挑んだ。ジョージア州からメイン州まで、約3,500キロ。彼を待ち受けていたのは、絶え間ない冷たい雨と、視界を遮る霧、そして終わりのない泥の道だった。

彼は著書の冒頭で、「5ヶ月間、ただひたすらに泥を見つめ続けた」と回想している。景色を楽しむ余裕などない。ただ足元の黒い土と濡れた石を、まるでタルムード(ユダヤ教の聖典)の研究者のような深刻さで見つめ続ける日々。そんな精神的にも肉体的にも追い詰められた極限状態において、彼を最も苦しめたのは、孤独でも寒さでもなく、ただ背中にのしかかる「バックパックの重さ」だった。

「ウルトラライト」という狂気

重さという苦痛から逃れるため、多くのハイカーたちは「ウルトラライト(超軽量化)」という思想に傾倒していく。それは単なる軽量化ではない。ある種の宗教的なまでの「削ぎ落とし」だ。

ムーアが出会ったハイカーたちの工夫は、常軌を逸しているようにさえ見える。快適なテントを捨てて一枚の薄いタープで野宿する者、足を守る重厚なブーツを脱ぎ捨てて底の薄いランニングシューズで岩場を行く者。彼らは装備に縫われたタグさえもハサミで切り取り、歯ブラシの柄を半分に折る。

極めつけは本だ。彼らは、長く孤独な夜の唯一の慰めとして持ち込んだ小説でさえ、読み終えたページから順に破り捨てていく。知識や感動を頭に入れたのなら、物理的な紙はもう「無駄な重り」でしかないというわけだ。

なぜそこまでするのか。数グラム軽くなったところで、一体何が変わるのか。 著者が辿り着いた答えは、物理的な質量以上のものだった。荷物を減らすプロセスとは、自分の中にある「恐怖」と向き合い、それを一つずつ捨てていく作業そのものだったからだ。

恐怖の総量が、荷物の重さになる

翻って、我々の日常のカバンの中身を点検してみよう。「いつか使うかもしれない」予備のバッテリー、「急な雨が降るかもしれない」折りたたみ傘、「誰かに会うかもしれない」ための整髪料や化粧ポーチ。

これらは全て、現在の必要性ではなく、「未来への不安」が物質化したものだ。「もし寒くなったら?」「もし充電が切れたら?」「もし人に会ったら?」我々は、「もしも」という見えない幽霊に怯え、その恐怖を鎮めるためだけに、肩が抜けそうなほどの荷物を詰め込んでいる。

ムーアは泥だらけの道で悟る。人間は、最低限の装備さえあれば、意外となんとかなるものだと。過剰な装備は、安心感と引き換えに、人間が本来持っている「即興で対応する能力」や「身軽に方向転換する自由」を奪っている。重装備のハイカーは安全かもしれないが、軽装備のハイカーは自由だ。そして、3,500キロを歩き通せるのは、間違いなく後者なのだ。

今日のコツ: 「もしも」を一つだけ家に置いていく

人生という長いトレイルにおいても、我々はあらゆるリスクに備えて保険をかけ、貯金を積み、人間関係に予防線を張ることに必死だ。しかし、その重装備のせいで、かえって一歩も動けなくなってはいないだろうか。

いきなり全てを捨てて、歯ブラシを折る必要はない。ただ、次に出かけるとき、カバンから「予備の何か」を一つだけ取り出してみるのはどうだろう。その小さな「もしも」を家に置いて外に出たとき、少しだけ足取りが軽くなるのを感じるはずだ。

その浮遊感の中にこそ、生きているという手触りがある。恐怖を一つ手放すこと、それは自分自身を少しだけ信じてやることと同義なのかもしれない。

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