Googleマップに従わず、「欲望の道」を歩く。建築家の敗北と人間の勝利【『トレイルズ』3/3】
Googleマップに従わず、「欲望の道」を歩くのはなぜか
Googleマップが提示する最短ルートや最適ルートを、私たちは何の疑いもなく受け入れているだろうか。あるいは、建築家が設計した真新しい歩道を前にしても、なぜか私たちは自分だけの近道を選んでしまうことはないだろうか。なぜ人間は、あらかじめ敷かれた道を外れて、自分だけの「欲望の道」を作ってしまうのか。
『トレイルズ 「道」と歩くことの哲学』著者でジャーナリスト・旅行作家のロバート・ムーアは、この問いに対して、道が持つ根源的な意味と、人間を含むあらゆる生命体が道を形成し利用する知恵について深く考察している。同氏は、特に人間が自然に生み出す「欲望の道」が、設計された道よりも長く生き残り、私たちの本能的な欲求を映し出すと説いている。
「欲望の道(Desire Lines)」が示す人間の本能
建築家が丹精込めて設計した歩道や広場に、いつの間にか土が踏み固められた一本の道が出現することがある。都市計画の研究者たちは、これを「欲望の道(Desire Lines)」と呼ぶ。これは、利用者が効率を求めて自然に作り出す近道であり、Googleマップが提示する最適ルートに抗ってでも、人間がより直感的な経路を選ぶ理由を象徴している。
ある大学のキャンパスで、芝生にできた非公式の近道を元通りに芝生を植え直す実験が行われたことがある。その結果、予想通り、新しい道が古い道と全く同じ場所にすぐに現れたという。抑圧的な国の首都の衛星画像にすら「欲望の道」が見られるほど、人間の本能的な欲求は強制力では抑制できない。この事例は、賢い設計者は利用者の欲望に逆らうのではなく、その欲望を形作るようにデザインすべきであるという示唆を与えている。
自然発生した道の「集団的知性」
アリやゾウ、バイソンなど、人間以外の動物もまた、驚くほど効率的な道の作り手である。例えば、アリはフェロモンの痕跡をたどって食料源を見つけ、巣に戻る際にさらに多くのフェロモンを残す。これにより、最も効率的なルートが強化され、群れ全体が最適な経路を発見する。ある研究では、アリが新しい経路を探索し、試行錯誤を繰り返しながら、より直線的なルートを形成していく様子が詳細に観察・記録されている。
同氏は、このような偶然の発見や試行錯誤の積み重ねによって、個々の知性では到達し得ない集団的な知恵が生まれることを指摘している。これは、人間が都市のインフラを形成する過程にも似ている。個々の住民がそれぞれ「より良い方法」を求めて行動した結果、意図せずして効率的で頑強なネットワークが自然発生的に構築されるのだ。同氏は、道とは「使う者が作り、使う者が育てる」という側面が、あらゆる生命体に共通する根源的な知恵を示していると結論付けている。
トップダウン設計の限界と、道の生命力
舗装された道路やGoogleマップが提示する「最適ルート」は、トップダウンで設計された典型的な例である。これらの設計は特定の目的(速度や効率)には優れるものの、使用者の多様な欲求や環境の変化には適応しにくいという限界を抱えている。同著では、現代のハイウェイが自動車の技術に適応して設計された結果、人間や動物が歩くには不親切な空間になっていると指摘する。
対照的に、自然発生した道は、使用者の歩行によって絶えず修正され、進化する。時代遅れのジョークが数十年かけて洗練され、より面白くなるように、道もまた無数の名もなき「作者」と「編集者」によって最適化されていく。同氏は、道の真髄は、それが絶えず進化し、利用者のニーズに応える機能にあると述べている。この適応性と生命力こそが、設計された道にはない、自然発生した道の強みなのである。
設計されたルートより、人間の本能が選んだ道の方が長く生き残る
現代社会は、科学的知見や技術によって効率化された「正しい道」を提示することを得意としている。しかし、私たちの日常生活においても、Googleマップの推奨ルートから外れて近道を探したり、あえて遠回りしたりすることがある。これは、効率性だけでは測れない人間の複雑な欲求、つまり「欲望の道」に導かれている証拠である。ロバート・ムーアは、設計されたルートよりも、人間の本能が選んだ道の方が長く生き残るという示唆を与えている。自然発生する道の知恵に注目することは、私たちの生活をより豊かにするヒントを与えてくれるだろう。
そうした視点をさらに広げるための一冊として、『反脆弱性』(ナシーム・タレブ著)を手に取ってみてはどうだろうか。予期せぬ出来事や不確実性から利益を得るシステムを考察するこの一冊は、人工的な設計では捉えきれない「道の知恵」を理解する上で、新たな視点を与えてくれるはずだ。
Kの視点
記事は「欲望の道」の普遍性を肯定的に論じているが、原書を読むと、ムーアの議論にはもう一段の複雑さがある。原書第2章の冒頭でムーアは「Ediacaran trails」と「trails」の本質的な違いを指摘し、単なる痕跡(trace)と真の道(trail)は別物だと断言する。真の道は「call and response」の構造を持つ——誰かが通り、別の誰かがそれを追い、微修正を加えることで初めて道になる。欲望の道の「強さ」はそのフィードバック機構にあり、単に多数派が踏んだからではない。記事が示すよりも、この議論ははるかに動的だ。
もう一点、記事が触れていない批判的な論点がある。原書でムーアは「wise designers sculpt with desire, not against it」と書き、賢明な設計者は欲望を抑圧せず形成せよと示唆する。しかしこれは、デザインが人々の欲望を先回りして誘導できるという前提に立つ。現実には、欲望の道が示す「本能的な近道」は、必ずしも最善ではない。スラムの形成も、環境破壊も、群衆が踏み固めた欲望の集積だ。「使う者が育てる」という原理の美しさを強調するあまり、集団的欲望の方向性そのものを問う視点が、原書にも記事にも薄い。 — K