ライフスタイル

「取り残される」という至高の贅沢

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情報のフォアグラ工場

現代の私たちは、まるで高級食材のために飼育されるガチョウのように情報を摂取する。それも、農場主によって無理やり捕まえられたわけではなく、まるで私たち自身の意思で、喜んで「檻」に入っているかのようだから始末が悪い。

想像してみてほしい。私たちは朝起きた瞬間から、口(目と耳)にスマートフォンの画面というパイプを突っ込み、そこからSNSの通知、ニュース速報、誰かのランチの写真、どうでもいい炎上動画といった「情報という名の高カロリーな餌」を、24時間休むことなく胃袋(脳)へと流し込んでいる。咀嚼の時間などない。ただひたすらに飲み込み、情報の脂肪肝を作り上げているのだ。

このグロテスクな「強制給餌(ガヴァージュ)」を、私たちはなぜ止めないのか? 止めようと思えば、いつでもパイプを引き抜けるにもかかわらず、なぜ自ら喉の奥へと押し込むのか? その根底にあるのは、飢えではなく「恐怖」だ。

FOMO:取り残される不安

この恐怖を、心理学用語でFOMO(Fear Of Missing Out=取り残される不安)と呼ぶ。

「友人の話題についていけない」「トレンドを知らない」「タイムラインを見ていない間に、世界を変えるような何かが起きているかもしれない」。そんな強迫観念が、私たちをスマートフォンの奴隷にしている。通知音が鳴るたびに、パブロフの犬のように反応してしまうのはそのせいだ。

だが、ここで少し冷徹な計算をしてみよう。芸能人の不倫スキャンダルをリアルタイムで知ることに、あなたの人生を豊かにする要素が1ミリでも含まれているだろうか? 友人がハワイで食べたパンケーキの画像を「いいね」することと、あなたの翌月の家賃を払うことに関連性はあるだろうか?

答えはノーだ。私たちが必死に追いかけている情報の99%は、翌日には排泄される「ノイズ」に過ぎない。私たちは砂金を探すために、毎日トン単位の泥を飲み込んでいるようなものだ。

(このブログがそうならないよう頑張ろうと思う。)

JOMO:取り残される喜び

グレッグ・マキューンの著書『エッセンシャル思考』が提唱するのは、この狂ったサイクルからの離脱だ。それがJOMO(Joy Of Missing Out=取り残される喜び)である。

これは、単なるデジタルデトックスではない。「あえて知らない」「あえて不在である」ことを選択し、その静寂と自由を味わうという、現代における究極の贅沢であり、反逆だ。

想像してみてほしい。夕食後の2時間、スマートフォンを電源ごと切って引き出しの奥に放り込む。情報のパイプを物理的に断ち切る。その瞬間、あなたは「誰からも邪魔されない」という、かつては王侯貴族しか持ち得なかった特権を手に入れる。最初は不安で指が震えるかもしれない。だが、すぐに気づくはずだ。あなたがオンラインにいなくても、地球は何事もなく回り続けていることに。そして、手元には驚くほど長く、穏やかで、濃密な時間が残されていることに。

「あえて知らない」という知的戦略

かつて、知識は力だった。だが、情報が洪水のように溢れる現代において、真の知性とは「何を知らないでいるか」を決める能力のことだ。「最近流行りのあのドラマ、見てないの?」「あのニュース知らないの?」。そう聞かれたら、恥じることなく、むしろ誇らしげに答えればいい。「ああ、見ていないんだ。その時間は、自分にとって本当に大切なことに使っていたからね」。

流行に乗り遅れることは、敗北ではない。それは、自分の人生の主導権を他人のアルゴリズムに明け渡さず、自分で握り続けているという勝利宣言だ。情報のパイプを自ら引き抜こう。ガチョウ小屋から脱走するのだ。あなたは、他人が作ったトレンドの波に揉まれて溺れるために生きているのではない。自分だけの静かな湖で、優雅に泳ぐために生きているはずなのだから。

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