7足の靴と354着のゴミ
衝動買い
2009年の夏、マンハッタンのKマート(日本で言えば、ファッションセンターしまむらや激安スーパーの衣料品売り場のような場所だ)で、『Overdressed』の著者のエリザベス・クラインはある種の『発作』を起こした。
目の前には、ゴム底にキャンバス地を貼り付けただけのような、チープなスリッポンがぶら下がっていた。元値は15ドル。それが7ドル(半額以下!)に値下げされている。 彼女の脳内でシナプスが発火し、理性が吹き飛んだ。気がつくと彼女は、自分に合うサイズの靴をすべて、合計7足も買い物カゴに放り込んでレジに並んでいた。
7足の靴だ。ムカデでもない限り、一度に履くことはできない。 案の定、その安物の靴は数週間でゴム底が剥がれ、地球の地殻変動のような惨状を呈した。結局、彼女が履き潰す前に流行が去り、残骸がクローゼットを占拠することになった。
笑い話ではない。これは私たちの日常だ。 「安いから」という理由だけで、欲しくもないモノを買い、数回使って捨てる。私たちは、かつては繕(つくろ)いながら長く付き合う貴重な資産だった靴や衣服を、今やハンバーガーの包み紙と同じ感覚で消費しているのだ。
クローゼットの棚卸し
彼女が本を書くにあたり、クラインは自宅にある服をすべて引っ張り出し、数えてみた。 結果は衝撃的だった。靴、ベルト、トップス、スカート……下着と靴下を除いても、その数なんと354点。 彼女はファッショニスタでも富豪でもない。平均的なアメリカ人女性だ。
かつて1930年代、中流階級の女性が持っているドレスはせいぜい9着程度だった。彼女の祖母の世代なら、服は繕い、直し、擦り切れるまで着る「資産」だった。 だが今、私たちは年間平均64着もの服を買い込んでいる。週に1枚以上だ。 クローゼットはもはやワードローブではない。タグがついたままの服や、一度着ただけで飽きられた服が積み上がる、高価な「倉庫」であり、やがて来るゴミ出しの日を待つ「待機所」になってしまった。
安さが脳を麻痺させる
なぜこんなことになったのか。答えは単純だ。「服がタダ同然になったから」だ。 歴史上かつてないほど、衣類の価格は暴落した。衣服にかける支出の割合は、家計の3%以下にまで下がっている。
ユニクロ、GU、しまむらのチラシの品や、SHEINのタイムセールを見れば、ランチ代より安い値段でそこそこの服が買えてしまう。100円ショップでプラスチックの雑貨を買うように、私たちはトレンドを買う。
だが、安さには副作用がある。それは『思考停止』だ。 5万円のコートを買うときは、ブランド、素材、縫製、そして「本当に必要か?」を真剣に考える。だが、900円のシャツなら? 「まあ、失敗してもいいか」とカゴに入れる。その積み重ねが、クライン氏の如く354着の山を作り、私たちの生活スペースと、そして精神的な充足感を圧迫しているのだ。
まずはクローゼットを開けて、自分が何枚のTシャツを持っているか数えてみるといい。数字は嘘をつかない。その絶望的な「過剰在庫」を直視することから、我々の更生プログラムは始まる。
今日のコツ:一点本物主義
英国にはこんなひねくれた格言・ジョークがある。
「私は安物を買えるほど、裕福ではない(I am not rich enough to buy cheap things)」
10,000円の靴を毎年履き潰しては買い替えるなど、金持ちの道楽だ。我々庶民こそ、ジョンロブやエドワードグリーンのような高級革靴を修理しながら死ぬまで履くべきなのだ。長い目で見れば、それが最も財布に優しい。 安物を山ほど抱えるより、一点の「本物」に執着する。それが、ファストファッションの泥沼から抜け出す唯一の梯子(はしご)だ。
