15ドルのドレスに潜む「奴隷」
『魔法』の価格設定
タイトルにある「15ドル(約2,200円)」というのは、エリザベス・クライン氏が『Overdressed』を執筆した2012年当時の象徴的な数字だ。 今の日本で言えば、しまむらのワゴンセールやGUの値下がりコーナーにある、1,650円のドレスや990円のジーンズといったところだろうか。
これらの服を見かけたとき、我々は「いい買い物をした」と思う。 だが、少し立ち止まって電卓を叩いてみてほしい。 生地代、輸送費、関税、店舗の家賃、日本の店員の給料、そして企業の利益。 これらすべてを差し引いても、なおセール価格で売れるとしたら、その服を縫った人間にはいくら支払われているのか?
答えは『タダ同然』だ。 2026年1月現在、アメリカや先進国の縫製工場で働く労働者の時給は、最低でも約2,500円(17ドル前後)はある。 対して、バングラデシュの労働者の時給はいくらか。賃上げがあったとはいえ、いまだ約80円(0.5ドル前後)だ。
その差、実に30倍以上。 もちろん為替や物価の違いはあるため単純比較はできないが、この格差こそが、グローバル企業が生産拠点を移し続ける唯一の理由だ。
『底辺への競争』の勝者と敗者
著者のエリザベス・クライン氏は、ドミニカ共和国の「アルタ・グラシア」という工場を訪れる。 ここは画期的な実験を行っていた。労働者に『生活賃金(人間らしい生活ができる給料)』を支払っているのだ。 その額は、現地の最低賃金の約3.5倍。彼らは借金なしで生活し、子供を学校に通わせることができている。
ここで驚くべき事実が判明する。 労働コストを3.5倍もかけたこの工場のTシャツは、果たして富裕層向けの高級品になっただろうか? 否。その販売価格は、隣に並んでいる大手ブランドの商品と、ほとんど変わらなかったのだ。
これは何を意味するか? 衣服の原価構造において、縫製工賃が占める割合は、もともと「誤差」レベルに過ぎないということだ。 例えば、工賃が10円から40円に上がったところで、5,000円の販売価格にはほとんど影響しない。 つまり、大手ブランドは、今の利益構造を崩さずとも、労働者にまともな給料を払う余力が十分にあるのだ。
だが、彼らはそうしない。なぜなら、株式会社という組織の主人は消費者でも労働者でもなく、「株主」だからだ。 彼らにとって、利益は「十分」ではいけない。「最大」でなければならない。 少しでも人件費が上がれば、彼らはすぐに工場を切り捨て、より賃金の安い国へと移動していく。
工場が建設される国の方も、この大口顧客を逃さないために、自国の労働者を守る法律をなかなか作れず、隣国と「どちらがより安く請け負えるか」というチキンレースを強いられる。 これを経済学者たちは『底辺への競争(Race to the bottom)』と呼ぶ。
現代の『共犯者』たち
バングラデシュの縫製工場で働く少女が、週に7日働き、それでも家族を養えないほどの低賃金で、先進国の人間が数回着て捨てる服を縫っている。 その現実を知った上で、「安くてラッキー」と笑えるだろうか?
著者は言う。「私たちは、価格が他人の給料とつながっていることを常に忘れてはならない」。 15ドルのドレスは、魔法ではない。誰かの搾取の上に成り立つ、砂上の楼閣だ。 消費者が「もっと安く」と叫ぶたびに、世界のどこかで誰かの生活が切り詰められている。安さを無邪気に喜ぶ消費者は、知らず知らずのうちに、その残酷なシステムに加担している『共犯者』なのだ。
「先進国の正義」が招く悲劇
だが、ここで我々は、もう一つの冷厳な事実にも目を向けなければならない。 それは、「それでも彼らにとっては、その仕事が命綱である」という事実だ。
かつて1990年代、大手ブランドなどのシューズ製造工場での児童労働が国際的に批判され、不買運動が起きた。 結果、何が起きたか? 工場を解雇された子供たちは学校へ戻ったわけではない。より危険で低賃金な仕事、あるいは売春やゴミ拾いへと追いやられ、以前より悲惨な状況に陥ったのだ。
先進国から「搾取反対」と叫ぶのは簡単だ。だが、その工場が閉鎖されれば、彼らは明日の食い扶持を失う。 グローバル企業は確かに搾取しているかもしれないが、同時に、現地に雇用と現金をもたらす数少ない存在でもある。この「最悪の中の最善(The best of a bad bunch)」というジレンマを無視して、正義だけを振りかざすのは危険だ。
今日のコツ:タグの裏側を想像する
だからこそ、答えは「買うな」という単純なものではない。 我々にできることは、思考停止しないことだ。 服を買うとき、タグの「Made in Bangladesh」の文字を見たら、一瞬だけ想像力を働かせてほしい。 その服が、どんな手によって縫われ、その賃金が彼らの生活をどう支え、あるいはどう搾取しているのか。
安易な不買運動に走るのでもなく、かといって無邪気に消費してクローゼットの肥やしを作るのでもなく、その複雑なトレードオフを飲み込んだ上で財布を開く。 その「居心地の悪さ」を抱え続けることこそが、グローバル経済の当事者として生きるための、唯一の誠実な態度なのだ。
