他人の欠点ばかりが気になっていないか【『ドッペルゲンガー』3/6】
他人の失敗や欠点ばかりを攻撃していないか
現代のSNSや職場の人間関係を見渡すと、他者の些細なミスや倫理的なほころびを徹底的に叩き、排除しようとする不寛容な空気が蔓延している。タイパを極め、自分自身の生活を効率よくコントロールしようとする人ほど、ルールを守らない人間や、自分と異なる価値観を持つ人間に対して激しい怒りを抱きやすい。
私たちは、自分が正義の側に立っており、社会を良くするために誤った人間を正しているのだと信じている。しかし、その過剰なまでの怒りや嫌悪感は、本当に相手だけの問題なのだろうか。特定の誰かに対して異常なまでの執着や反発を感じるとき、私たちは相手の姿を借りて、自分自身の内面にある見たくない部分と戦っている可能性があるのだ。
憎悪の対象は切り離された自分の影である
『ドッペルゲンガー 鏡の世界への旅』著者でジャーナリストのナオミ・クラインは、自身が極端な思想を持つ同名の評論家(ナオミ・ウルフ)と混同された体験を通じて、私たちがネット上の敵対者を激しく憎む社会的な背景を分析している。このクラインの分析を読み解くと、そこにはユング心理学が「影(シャドウ)の投影」と呼ぶメカニズムが明確に見て取れる。
人間は誰しも、利己心、怠惰、あるいは非合理的な衝動といった、社会的に受け入れられない醜い部分を持っている。私たちは、そうした望ましくない性質を自分の中に見出すことを恐れ、無意識のうちに自分自身から切り離そうとする。私たちが鏡の世界のドッペルゲンガーたち(極端な思想を持つ他者)に激しい嫌悪感を抱くのは、彼らこそが、私たちが懸命に隠し通そうとしている非合理性を、堂々と体現してしまっているからである。私たちが攻撃している敵の正体は、実は自分自身が抑圧し、他者に投影した影の自分に他ならないのだ。
個人の最適化がもたらす社会の分断
この影の投影は、個人主義が極度に発達した現代社会においてさらに深刻化している。私たちは、自分の健康やキャリアを最適化し、すべての問題を自己責任として完璧に処理するよう求められている。自分の人生から失敗やノイズを排除し、無菌状態を保とうとするほど、自分の中の不完全な影を許容する精神的な余白は失われていく。
その結果、私たちは抑圧した自分の影を他人に押し付け合い、互いを非難し合う終わりのない分断のゲームに陥っている。極端な陰謀論者も、それを冷笑する理性的でエリートな層も、互いに相手を社会の病巣として切り捨てることで、自分自身の内なる無力さや矛盾から目を背けているのだ。自分の影を見つめる痛みを避ける限り、私たちはいつまでも鏡の世界の幻影と戦い続けることになる。
自分の影を引き受け、現実を生き直せるか
冒頭の問いに戻ろう。あなたが他人に抱く激しい怒りや嫌悪感は、あなた自身の内面を映し出す鏡である。私たちが分断の世界から抜け出すためには、他者を攻撃することで自分を正当化する息苦しいゲームから降り、自分の中にある醜さや不完全な影を静かに受け入れる勇気を持たなければならない。
自らの無意識と向き合うための確かな一冊として、抑圧された影がどのように他者へ投影され社会の分断を生むのかを解き明かした日本の名著、河合隼雄の『影の現象学』へと手を伸ばしてみてはどうだろうか。他者を徹底的に叩きたくなる欲望の裏には、自らの影への恐怖が隠されていること。その事実に気づき、自分自身の不完全さを引き受ける覚悟を持ったとき、あなたは鏡の世界の怒りの連鎖から解放され、他者との本質的なつながりを取り戻すことができるはずだ。
『ドッペルゲンガー』シリーズ (全6回)




