モノに感謝する「奇妙」な儀式
“クレイジー”な日本人
『人生がときめく片づけの魔法』が欧米で翻訳されたとき、最も議論を呼び、そして最も人々を戸惑わせたのが、ある一つの作法だった。 それは、捨てるモノに対して「今までありがとう」と声をかけ、手放すという感謝(gratitude)の儀式だ。
いわゆる”合理主義的”な現代の欧米人にとって、これは正気の沙汰ではないように映っただろう。 「靴下に話しかける? クレイジーだ!」 彼らにとってモノは物質(Material)であり、機能しなくなればそれはゴミ(Trash)だ。ゴミに感謝する時間があるなら、さっさとゴミ収集車に乗せるのが効率的だ。
だが、この「非合理」こそが、実はこのメソッドの魂(ソウル)なのだ。
アニミズムと呪物崇拝
この思考の根底にあると思われるのは、原始的なアニミズム(精霊信仰)、あるいは呪物崇拝(フェティシズム)に近い感覚だ。 日本には古来より、針供養や筆供養のように、長く使った道具には「魂」が宿ると見なす文化的な土壌がある。 モノを単なる物質としてではなく、生活を共にする「パートナー」として、あるいは自分自身の身体の延長として捉える世界観だ。
昨日まで紹介していたファストファッションの弊害は、モノを「使い捨ての資源」としてしか見ないドライな関係性から生まれている。 1,000円だから雑に扱い、飽きたら捨てる。そこには関係性の構築もなければ、別れの痛みもない。だから、次から次へと新しい「ゴミ」を買い込んでしまう。
「捨てる」ではなく「送り出す」
著者は、役目を終えたモノを「捨てる(discard)」とは言わない。「送り出す(send off)」と言う。 「買ったけれど一度も着なかった服」に対してさえ、彼女はこう言う。 「『この服は自分には似合わない』ということを教えてくれたことに感謝して、手放しましょう」
これは、罪悪感を消すためのテクニックではない。 モノとの関係に決着をつけるための「結び」の儀式だ。 感謝して送り出すことで、我々はモノへの執着を断ち切り、同時に「次はもっと大切にできるモノを選ぼう」という学びを得る。 この儀式を経ることで、単なる「廃棄」が、未来への「卒業」へと昇華されるのだ。
今日のコツ:良い別れをする
もし明日、ゴミ袋に服を詰めるなら、騙されたと思って小声で呟いてみてほしい。 「今まで守ってくれてありがとう」 「無理させてごめんね」
その瞬間、あなたの手にあるのは「ゴミ」ではなくなり、共に時間を過ごした「戦友」になる。 その切なさを知る者は、もう二度と、安易に戦友を増やしたりはしない。 感謝とは、大量消費社会という荒波から身を守るための、最も人間的なアンカー(錨)なのだ。
