無邪気な情報信仰を捨てろ【『NEXUS』1/6】
情報さえ集めれば正しい決断ができると錯覚していないか
現代のビジネスパーソンは常に「より多くの情報」を求め続けている。検索エンジンを駆使し、データを集め、緻密な分析を行えば、自ずと正しい真実に行き着き、最適な決断を下せると信じているからだ。タイパを極め、最短距離で正解にたどり着くためには、圧倒的な情報量こそが唯一の武器であると疑わない。私たちは、情報へのアクセスさえ確保できれば、人生のあらゆる問題は解決できるという前提で動いている。
しかし、これほどまでに情報が溢れ返っているにもかかわらず、私たちはなぜ日々の決断に迷い、社会や組織はかつてないほどの分断と混乱に直面しているのだろうか。『NEXUS』の著者であり歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリは、「情報が増えれば真実に近づき、知恵が得られる」という考え方を「情報の無邪気な見方」と呼び、鋭く退けている。情報を集めれば集めるほど真実が見えてくるというのは、極めて危険な錯覚なのだ。
情報の目的は「真実」ではなく「秩序」だと気づけるか
なぜ情報が真実をもたらさないのか。それは、情報の本質的な役割が「現実を正確に表現すること(真実)」ではなく、「異なる点を結びつけてネットワークを構築し、維持すること(秩序)」にあるからだ。情報は私たちに客観的な事実を知らせるためだけに存在しているわけではなく、むしろ物事を一定の形に組み込むために機能している。
たとえば、企業のビジョンや美しく装飾されたプレゼン資料は、それが客観的な「真実」であるかどうかよりも、社員や顧客の心を強く結びつけ、行動を促す「つながりの力」として機能する。情報ネットワークの第一の目的は、真実の探求ではなく、この秩序の形成にあるのだ。タイパを重視して情報を効率的にかき集める行為は、真実に近づいているのではなく、単に誰かが作った都合の良い秩序(ネットワーク)に自分を適合させているだけかもしれないのである。
なぜ真実よりもフィクションが勝ってしまうのか
人間が大規模な協力関係を築き、組織を動かすとき、真実よりもフィクション(虚構)の方が圧倒的に有利に働く。(この「虚構が人間の大規模協力を可能にした」というテーマは、同氏の前著『サピエンス全史』でも詳しく論じられている)

なぜなら、現実は常に複雑で痛みを伴い、理解するのに膨大なコストがかかるのに対し、フィクションはいくらでも単純化でき、人々の耳に心地よく響くように加工できるからだ。事実をありのままに語るリーダーよりも、痛みを隠して希望に満ちたシンプルな物語を語るリーダーの方が、人を熱狂させ、動かしやすい。
しかし、真実を犠牲にして秩序やフィクションを優先するネットワークは、一時的に強大な力を得たとしても、長期的には必ず現実とのズレを生み出し、破滅に向かう危険性を孕んでいる。事実を無視して作られた強力なビジネスモデルや戦略が、ある日突然崩壊するのはこのためだ。私たちが日々直面する組織の不条理の多くは、この「真実よりも秩序を優先した結果」として引き起こされているのである。
情報を盲信せず、自らを修正する仕組みを持てるか
冒頭の問いに戻ろう。私たちは情報を集めるだけで正しい決断ができるという無邪気な信仰を、今すぐ捨てなければならない。AIという、自ら情報を処理し決断を下す非人類の知能がネットワークの新たなメンバーとして加わった時代において、情報の盲信や曖昧な記憶への依存は致命傷となる。私たちが真に持つべきなのは、完璧な情報を求める姿勢ではなく、自らの「誤り」を前提とし、客観的な事実に基づいて絶えず軌道修正を行う「強力な自己修正メカニズム」である。
この自己修正の仕組みを個人のレベルで実装するための極めて実戦的な自己投資として、本書と共に、自らの思考や会議の生々しいやり取りを正確に記録・整理するAIボイスレコーダー、Plaud Note Proへと投資してみてはどうだろうか。読書によって「情報はつながりである」という歴史の真理を脳にインストールし、現場では最新のAIツールという「客観的な記録装置」を用いてフィクションに流されがちな自らの思考を修正し続ける。この知的な反復運動こそが、情報過多の現代において、あなた自身の人生の主導権を確実に握る最強の防衛策となるはずだ。
『NEXUS』シリーズ (全6回)




