権力は共感力を奪うのか【『To Sell is Human』2/6】
営業において主導権を握るべきか
ビジネスの交渉事や営業の現場において、私たちは常に「主導権を握れ」と教育されてきた。豊富な専門知識で相手を圧倒し、会話のペースをコントロールし、高いポジションから堂々と提案を行うことこそが、優秀なビジネスパーソンの条件だと信じ込まされている。しかし、買い手がすべての情報を握る現代において、その強気な態度は本当に相手の心を動かしているのだろうか。
こちらが権力を誇示し、専門家として振る舞えば振る舞うほど、相手は無意識のうちに心のシャッターを下ろしていく。現代の非販売の営業において、相手を自分の思い通りにコントロールしようとする古いマインドセットは、致命的な摩擦を生み出すノイズにしかならないのだ。
権力が他者の視点を奪い去る
『To Sell is Human』著者,ジャーナリストのダニエル・ピンクは、相手を動かすための新たな原則として、相手の視点に立つ「同調(Attunement)」の力を挙げている。同氏は社会心理学の研究を引き合いに出し、人間は権力を持つと、自らの視点に固執し、他者の感情や意図を読み取る能力が著しく低下するという残酷なメカニズムを指摘している。
人は自分が強い立場にいると認識した瞬間、無意識のうちに「相手の目を通した世界」を見る努力を放棄してしまう。立派な肩書を持ち、自社の製品知識に絶対の自信を持っているベテラン営業パーソンほど、顧客の抱える些細な不安や隠れた不満を見落としてしまうのはこのためだ。権力や主導権への執着は、結果としてあなたの共感力を奪い、ディールを成立させるための最も重要な糸口を破壊してしまうのである。
あえて自らを低いポジションに置けるか
では、情報の非対称性が崩壊した現代で、私たちはどのようにして相手と「同調」すればよいのだろうか。その答えは、極めて逆説的だが、あえて自らの権力や専門性を手放し、意図的に相手よりも低いポジションに身を置くことである。
商談の席につくとき、「自分はすべてを知っている専門家だ」という傲慢な前提を捨てるのだ。代わりに「自分は相手のビジネス(あるいは人生)について無知であり、教えを乞う立場である」という謙虚なマインドセットをインストールする。自分が弱い立場にあると脳に錯覚させることで、私たちの認知能力は初めてフル稼働し、相手の言葉の裏にある真の課題や感情の機微を正確に読み取ることができるようになるのである。
語る口を閉ざし、謙虚な問いを投げられるか
冒頭の問いに戻ろう。相手を動かすために必要なのは、主導権を握って自社の魅力を雄弁に語ることではない。自らを低いポジションに置き、相手の視点から世界を覗き込む「同調」の力である。そして、この謙虚なマインドセットは、決して高級なペンやツールで形を繕うことでは体現できない。語る口を完全に閉ざし、相手の言葉の奥にある真意に耳を傾けるという、徹底した精神的な訓練によってのみ獲得できるのだ。
そのための極めて実戦的な自己投資として、エドガー・H・シャインの『問いかける技術』や、ケイト・マーフィの『LISTEN』といった、傾聴と謙虚な問いかけのメカニズムを説いた名著へと手を伸ばしてみてはどうだろうか。小手先のテクニックや道具に頼るのではなく、真の聴く姿勢を己の精神に深く刻み込むことこそが、相手の警戒心を完全に解き、強固な信頼関係を築く最強の営業戦略となるはずだ。
『To Sell is Human』シリーズ (全6回)




