資本主義の空白地帯を作る。ただ「そこにいる」という究極の抵抗【『何もしない』6/6】
「何もしない」ことの真の目的
ジェニー・オデルが説く「何もしない」という行為は、単なる怠惰や、社会からの完全な逃避を意味するものではない。 私たちの時間を1分1秒まで換金しようとする「アテンション・エコノミー(関心経済)」から自らの意志で引き下がり、空白のスペースを作り出すこと。そして、その空いたスペースに、本来私たちが向けるべき「他者」や「物理的な環境」への注意を呼び込むための準備なのだ。
すべてが能率化・ネットワーク化されたデジタルのタイムラインから目を離したとき、私たちはようやく、自分が複雑な生態系や地域社会という「物理的なネットワーク」の中に生きていることに気づくことができる。
「脱中心化」と他者への配慮
本書の終盤において、オデルは注意や配慮の対象を「自分が日常的に関わる人のネットワークの外側にいる人たち」にも向ける必要があると説いている。
SNSのフィルターバブルの中では、世界は常に「自分(の興味)」を中心として回っている。しかし、ひとたび外へ出て、想像しかできなかった他者の暮らしや、人間以外の生き物たちの営みを現実感を伴って認識したとき、私たちは「自分たちの部屋が前よりも世界の中心ではなくなった」と感じる。 この「脱中心化」こそが重要なのだ。自分が世界の中心であるという錯覚から抜け出すことで初めて、私たちは他者の価値観に触れ、深いレベルで世界と結びつくことができる。
「あわい(狭間)」の空間に留まる
脱中心化を実践し、他者と世界を共有するためには、具体的な「場所」が必要である。 それは、商業的な消費を前提とするカフェやショッピングモールでもなく、データが搾取されるオンライン空間でもない。誰もが無料で存在することを許され、何の生産性も要求されない「公共の公園」や「図書館」といった場所だ。
オデルは、利害関係が異なる者同士がたがいに相手を「リアルな存在」として受け止める「あわい(狭間)」の空間の重要性を指摘している。 ただ公園のベンチに座り、鳥の声を聴き、見知らぬ人々の営みを眺める。この「内側にも外側にも開かれている状態」を保ちながら、システムに対して何一つ有益なデータを提供しないこと。これこそが、資本主義社会における究極のレジスタンス(抵抗)の姿である。
空白を維持するためのギア:真空ボトルとチェア
経済的価値を一切生み出さず、公共空間の「あわい」にただ留まり続ける。このもっとも知的で非生産的な行為をサポートするための最強のアナログギアが、『STANLEY(スタンレー)の真空ボトル』と『折りたたみのローチェア』である。
休日の朝、スマートフォンを家に置き、頑丈なSTANLEYのボトルに自宅で淹れた熱いコーヒーをなみなみと注ぐ。そして、軽量な折りたたみチェアを片手に近所の公園へと向かう。 お気に入りの木の下にチェアを開き、ただ深く腰掛けてコーヒーを飲む。そこには「場所代」も「通信費」も発生しない。アルゴリズムによる通知に邪魔されることもなく、ただ物理的な時間がゆっくりと流れていくだけだ。
システムから完全にログアウトし、ただ「そこにいる」という革命。 一生モノのタフなボトルとチェアは、あなたが情報社会のノイズから自らを引き離し、奪われた関心を取り戻すための、最も頼もしい「何もしない」ための装備となるはずだ。
『何もしない』シリーズ (全6回)




