教養・コラム

主君より輝いてはならない。

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才能の誇示が招く悲劇

17世紀のフランスに、ニコラ・フーケという極めて有能な財務官がいた。彼は当時の国王ルイ14世の寵愛を得ようと、当時の建築技術の粋を集めた豪華絢爛な城を築き、王を招いて最高級の宴を開催した。フーケの意図はシンプルだった。「自分がいかに有能で、王への忠誠心に溢れているかを示し、次の宰相の座を手に入れること」である。

しかし、祝宴の翌朝、彼を待っていたのは昇進ではなく逮捕状だった。フーケは横領の罪を着せられ、残りの人生を暗い監獄の中で過ごすことになった。彼が犯した致命的なミスは、王を喜ばせようとするあまり、王よりも「輝いてしまった」ことにある。主君にとって、部下のあまりに眩しい才能は、自らの地位を脅かす「不吉な予兆」にしか見えなかったのだ。

才能は「上司の無能さ」を際立たせる毒になる

ロバート・グリーンは、その著書『The 48 Laws of Power』の中で、この法則を「第1の法則:主君より輝いてはならない(Never Outshine the Master)」と定義している。権力の座にある人間は、自分がその場を支配し、周囲より優れているという安心感を常に求めている。そこへ部下が圧倒的な才能や魅力を持って現れることは、上司に「自分の凡庸さ」を突きつける残酷な行為となる。

たとえあなたが良かれと思って披露した卓越したアイデアや成果であっても、それが相手のプライドを傷つけた瞬間、あなたのキャリアは静かに、しかし確実に終わりを迎える。上司はあなたの「無礼」を指摘することはない。ただ、静かにあなたを遠ざけ、チャンスを奪い、組織の隅へと追いやっていくだけだ。才能は、使い方を誤れば自分を刺す刃になる。

「実力主義」というナイーブな幻想を捨てろ

現代のビジネスシーンでも、このフーケの悲劇は形を変えて繰り返されている。新成人が抱きがちな「実力さえあれば正当に評価される」という考えは、あまりにナイーブで危険な幻想だと言わざるを得ない。組織とは、純粋な実力を競う競技場である前に、感情を持った人間による「権力構造の集合体」だからだ。

もしあなたが上司より優れていたとしても、それを公然と証明してはならない場合が多い。それは、相手の存在意義を否定することと同義だからだ。有能であることを隠す必要はないが、その有能さが「誰の利益になるか」を慎重に操作する必要がある。まずは相手に「自分が安全な立場にいる」と思わせることこそが、どんなスキルよりも先に習得すべき組織内の生存戦略なのだ。

太陽を隠す雲ではなく、夜空を引き立てる星になれ

グリーンは、自分の才能を完全に隠すのではなく、それを「主君を飾るための装飾」として提供せよと説く。自分の成功を「上司の優れた指導のおかげ」として譲り渡し、相手を実力以上に偉大に見せること。これこそが、最も狡猾で安全な出世街道へのパスポートとなる。太陽(主君)を覆い隠す雲になれば排除されるが、太陽を反射して輝く月になれば、あなたは重用され続けるだろう。

結局のところ、権力を操る側へと回るためには、まず自分が権力の餌食にならない術を知らねばならない。自らの光をコントロールし、いつ、誰を主役にするかを冷徹に選択すること。この「残酷な謙虚さ」を身につけることこそが、大人の世界で生き残るための、真の「精進」の第一歩ではないだろうか。

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