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死は運命ではなく「技術的バグ」。神を目指す代償【『ホモ・デウス』1/6】

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飢餓と戦争は「管理可能な課題」になった

20世紀までの人類にとって、朝目覚めたときの最大の心配事は「今日の食事」か「隣国の侵略」、あるいは「致死性のウイルス」であった。これらは神の怒りであり、人間の力ではどうにもならない運命だと思われていた。 しかし21世紀の今、状況は劇的に変わった。歴史学者のユヴァル・ノア・ハラリは、著書『ホモ・デウス』の冒頭で宣言する。人類は、有史以来の三大課題である飢餓、疫病、戦争を「あらかた制御することに成功した」と。

もちろん、ニュースを見れば悲劇は存在する。だが統計的に見れば、現代人がマクドナルドの食べ過ぎや糖尿病で死ぬ確率は、テロリストや兵士に殺される確率よりもはるかに高い。 生存という最低限のレベル(アニマル・レベル)をクリアしてしまったサピエンスは、空いた手で何を掴もうとするのか。ハラリは指摘する。人類が次に目指すアジェンダは、自らを生物学的な制約から解放する「不死」と、永続的な快楽を得る「至福」、そして神の如き力を手にする「神性(デウス)」の獲得である。

「死」は単なる技術的なエラーコード

この「不死」への渇望は、現代の科学思想に深く根ざしている。かつて死は、形而上学的な意味を持つ厳粛な運命だった。しかし、現代の科学者にとって、死は単なる「技術的なバグ」に過ぎない。 心臓が止まるのは悪魔の仕業ではなく、ポンプの故障である。癌は運命のいたずらではなく、遺伝子コードの書き損じである。バグならば、エンジニアが修正すればいい。

マイクロソフトがアンチウイルスソフトを更新するように、私たちもナノボットで血管を巡回させ、癌細胞を駆除し、劣化した臓器を交換すれば、理論上は永遠に生き続けられる。 グーグルのような巨大テック企業が、寿命延長を目指すベンチャー(キャリコなど)を設立しているのは偶然ではない。彼らは本気で「死という問題」を解決しようとしている。私たちは知らず知らずのうちに、人間であることをやめ、メンテナンス可能な「精密機械」になろうとしているのである。

幸福の「生化学的」な天井を突破する

不死と並ぶもう一つのアジェンダが「至福(幸福になる権利)」だ。 しかし、これには生物学的な限界がある。進化論的に見て、生物は「生存と生殖」に有利な行動をとった時にだけ、報酬として快楽物質(セロトニン、ドーパミン、オキシトシン)が出るように設計されている。そして、その快楽はすぐに消える。 もし快楽が永続してしまったら、猿は食事もセックスも探さなくなり、死に絶えてしまうからだ。

つまり、私たちの「幸福度」は、エアコンの設定温度のように一定の範囲内に保たれるよう、遺伝子によってプログラムされている。 どんなに大金持ちになっても、すぐにその状態に慣れてしまい、幸福度が元に戻ってしまうのはこのためだ。 この「ガラスの天井」を突破するために、人類は生化学的な操作(薬物や脳への直接刺激)に手を出し始めている。永遠の幸福を手に入れるためには、人間としての定義(ホモ・サピエンス)を書き換えるしかないからだ。

So What?(だからどうした!)

エリートが神(デウス)になり、私たちが無用者(ユースレス)になる? データ至上主義が世界を覆う? だからどうした、というのだろう?

システムにとって「無駄」なことこそが、私たちが生きる理由だ。下手でもいい、『モレスキン』に詩や散文を書け! 『マルマン』のスケッチブックに線を描け!ギターを掻き鳴らせ。ドラムでビートを刻め。 汗をかき、間違え、悩み、悲しみ、そして笑え!泣け!怒れ!この非効率で、面倒で、データ化できない泥臭い行為の中にしか、「人間」はいない。

神(デウス)になりたい奴にはならせておけばいい。私たちは、死ぬまで人間(サピエンス)として、愚かで愛おしい「表現」を続けるだけだ。 ペンを取れ。それが、最強のレジスタンスだ。

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