「自分探し」の終焉。Googleが「あなたの正解」を知る理由【『ホモ・デウス』2/6】
あなたの「内なる声」はデータの海で溺死した
人生の重大な岐路に立ったとき、私たちはよく「自分の胸に聞いてみろ」と助言される。個人の内なる声(直感や感情)に従うことこそが、最も自由で人間らしい生き方だと固く信じているからだ。
しかし、『ホモ・デウス』の著者ユヴァル・ノア・ハラリは、このロマン主義的な信念に冷や水を浴びせる。彼が描く新たな世界的宗教「データ至上主義(データイズム)」の世界において、人間の感情や直感は単なる「不完全な生化学的アルゴリズム」に過ぎず、信頼に値しないノイズとされる。代わって絶対的な「真理」となるのが、膨大な生体データとシリコンバレーのAIである。
考えてみてほしい。あなたが今日読む本を選ぶとき、自分の直感を信じるのと、Amazonの「あなたへのおすすめ」に従うのと、どちらが「ハズレ」が少ないだろうか。初めて行く街で、自分の方向感覚とGoogleマップの指示、どちらを信じるだろうか。 私たちはすでに、自分の内なる声よりも、巨大テック企業のサーバーが弾き出す「データの声」を、神の啓示のごとく信奉し始めているのである。
経験は「シェア」されない限り無価値となる
かつて、経験とは個人の内側に静かに蓄積される財産だった。夕日の美しさに息を呑んだり、ひっそりと失恋の痛みを味わう「個人的な体験」こそが、人間の精神を成熟させると信じられていた。
だが、データ至上主義の冷酷な教義においては、「データとしてネットワークに共有(シェア)されない経験は、この世に存在しない」に等しい。 どんなに素晴らしい三ツ星レストランの料理を食べても、Instagramにアップして「いいね」というデータに変換されなければ、それはシステムにとって無価値なカロリー摂取とみなされる。
現代人がスマホを手放せず、あらゆる瞬間を写真に撮り、息をするようにSNSへシェアしようとする強迫観念の正体はここにある。私たちは無意識のうちに、「自分」という存在の役割は、世界から情報を収集し、それを巨大なデータフロー(情報の濁流)に接続することだと洗脳されているのだ。 ハラリの言葉を借りれば、私たちはもはや自律した尊い個人などではなく、巨大なデータ処理システムに組み込まれた、単なる「情報処理チップ」になり下がっているのである。
アルゴリズムの「最適化」が奪い去るもの
このデータ宗教が完成すれば、やがて人生の重大な決断――就職、結婚、医療――において、私たちが悩む必要はなくなる。 AIがあなたのDNA、過去の行動履歴、バイタルデータをすべて解析し、「この会社に入れば3年後の幸福度は85%です」「今の恋人との離婚確率は92%なので、こちらの相手を推奨します」と、完璧な正解を教えてくれるからだ。
失敗や無駄のない、完全に最適化された人生。それは一見するとユートピアだが、そこには致命的な欠落がある。それは「個人の物語」の喪失だ。 Googleマップの青い点に従い、食べログで4.5点の店に行けば失敗しない。だが、そこにはあなたの物語は1ミリも存在しない。シリコンバレーのアルゴリズムが予測した通りのルートを歩き、予測通りのカロリーを摂取するという「プログラムの実行」が完了しただけだ。
アルゴリズムへの最大の反逆「何もしない」
データ至上主義の波は止められない。しかし、我々が単なる情報処理チップではなく、自由意志を持った「人間」であり続けるためのレジスタンス(抵抗)は可能だ。
それは、スマホを壊して森に逃げ込むことではない。この過酷なデータ至上主義社会を生き抜くための解毒剤として、私はジェニー・オデルの著書『何もしない――「関心」の経済から引き揚げるための行動論』を共に読むことを強く推奨したい。
この本が説く「何もしない」とは、ただベッドで眠ることではない。 「システムにとってデータとして抽出できず、経済的な価値(ROI)を一切生まない非生産的な時間を、意図的に生きること」である。
公園のベンチに座り、ただ鳥の声を聴き、葉っぱの揺れを数十分間見つめる。その行為は、Googleのアルゴリズムから見れば「機能不全(エラー)」であり、1バイトのデータも生み出さない。しかし、その「システムにとって完全に無価値な時間」にこそ、AIには解析できない生々しい人間性が宿るのである。
「あなたへのおすすめ」という名の甘い檻から抜け出し、自分の「関心(アテンション)」をアルゴリズムから取り戻そう。 検索しても出てこない答えを、自分の頼りない頭で考え続けること。効率の悪いその「何もしない」という営みだけが、データ教の信者ではなく、一人のサピエンスとして生きる最後の砦となるだろう。
『ホモ・デウス』シリーズ (全6回)





前作『サピエンス全史』シリーズ (全6回)





