教養・コラム

送料無料

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距離が死んだ日

もし、送料がタダになったら、世界はどうなるか。 コンテナが登場する前、モノを海外へ運ぶコストは莫大だった。製品価格の25%が運賃で消えることも珍しくなかった 。だから、工場は消費者の近く、つまりニューヨークやロンドンのような大都市に置くしかなかった

しかし、コンテナはその常識を破壊した。 輸送コストは劇的に下がり、今や地球の裏側からテレビを運んでも、その運賃は製品価格のほんの数パーセント、あるいは「誤差」のようなものになった 。 経済学者が言うところの「距離の死」である

メイドイン世界

この「0円の距離」が何を生んだか。それがグローバリゼーションだ。 送料がかからないなら、わざわざ人件費の高い先進国でモノを作る理由はない。企業はこぞって工場を閉鎖し、労働力が安い国へと生産拠点を移した 。

かつて1956年には、中国は世界の工場などではなかった 。カンザスのスーパーにブラジル製の靴が並ぶことなどあり得なかった 。 だが今は違う。日本のメーカーがデザインし、中国で部品を作り、ベトナムで組み立て、アメリカで売る。この複雑怪奇なパズルが成立するのは、部品をあっちこっちへ移動させるコストが「タダ同然」だからだ

消費者としての勝利、労働者としての敗北

私たちは、ある種「分裂症的」な矛盾の中で生きている。 週末になれば、100円ショップでカゴいっぱいに雑貨を詰め込み、ファストファッションで「今シーズン限り」の服を買い漁る。レジで支払う金額の安さに、私たちは「賢い消費者」としての勝利を噛み締める。 すべては、コンテナが輸送コストを「消滅」させてくれたおかげだ。

だが、月曜の朝、労働者としての顔に戻ったとき、景色は一変する。 「なぜ給料が上がらないんだ?」「なぜ正社員の枠が減り、非正規ばかり増えるんだ?」 その答えの一部がまた、コンテナにある。

残酷な事実を言おう。かつて先進国の労働者が高い賃金を得ていたのは、私たちが特別に勤勉だったからでも、優秀だったからでもない。単に「市場(消費地)の近くに住んでいた」という、地理的な特権や為替に守られていただけだ。 昔は、遠くから運ぶと送料が高くついた。だから企業は、給料が高くても、渋々近場の人間(私たち)を雇うしかなかったのだ。

しかし、コンテナがその「送料の防波堤」を粉砕してしまった。 壁がなくなった瞬間、資本は水のように低い方へと流れる。企業は冷徹に計算する。「送料がタダ同然なら、時給20ドルのアメリカ人より、時給50セントのベトナム人を雇えばいい」。 私たちが100円ショップで安さを謳歌しているその瞬間、私たちは自分自身の首を絞めていることになる。私たちは今、見えないワイヤーで繋がれた地球の裏側の労働者と、「どちらが安く働けるか」という、底辺への競争(レース・トゥ・ザ・ボトム)をさせられているのだ。

今日のコツ:便利さの代償を直視する

グローバリゼーションを批判するのは簡単だ。だが、iPhoneを使い、安いコーヒーを飲みながらそれを言うのは偽善だろう。 私たちは、このシステムを選んだのだ。

コンテナという”パンドラの箱”は、一度開けたらもう閉まらない。 距離が死んだ世界で、私たちはどう生きるか。 安さを享受しながら、自分のスキルの価値をどう守るか。 そのトレードオフのバランスシートを、毎晩のニュースを見ながら、冷静に計算し続けるしかない。それが、箱に支配された世界で生きる我々の現実だ。

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