【シーズン1 第1話】量を増やすほど、報われなくなる|『10倍成長 2倍より10倍が簡単だ』
著者:ダン・サリヴァン&ベンジャミン・ハーディ 著/深町あおい 訳
書名:『10倍成長 2倍より10倍が簡単だ』(2024)/原題 10x Is Easier Than 2x(2021)
出版社:ディスカヴァー・トゥエンティワン
結論:2倍の成果がほしいとき、努力の量まで2倍にするのはいちばんつらい道だ。むしろ狙いを10倍に引き上げると、いまのやり方の延長では届かないと気づき、やることを「もっと」ではなく「より少なく」絞れる。本当に効く一握りへ力を振り切るほど、競争が消えて、かえって楽になる。本書はそんな逆説を説く。会社員がそのまま実行する本ではないが、「もっと頑張る」以外の発想の入口になる。
こんな人に読んでほしい
- 量も残業もこなすのに、評価が伸びない人
- 「もっと頑張る」以外の道を探している人
- 忙しさで、本当にやりたいことが進まない人
おすすめ度(★★★★☆):即効薬ではない。慣習の中で別の方向を選ぼうとする人が、勇気を一滴もらうための一冊として。
この記事の物語部分はフィクションです。登場人物・古書店・会話はすべて架空で、実在の人物・団体とは関係ありません。取り上げる書籍は実在しますが、作中の要約・解釈・批評は編集部による独自のもので、著者・出版社の見解を代弁するものではありません(正確な内容は原書でお確かめください)。それでは本書がもたらす「量を増やすのではなく、進む方向を選ぶ」という本質を路地裏の古書店を舞台にした物語で味わってください。
報われない残業:「量はこなしてるんだけどね」
残業で、オフィスの電気がいちばん最後まで点いているのはいつも自分のデスクだった。コツ太はその日も終電近くまで残り、頼まれた資料を仕上げた。誰よりも数をこなしている。残業時間も部署で一番長い。それでも夕方の評価面談で、上司は手元の紙をめくりながら、こう言っただけだった。
「量はこなしてるんだけどね」
その後に続くはずの言葉を上司は言わなかった。コツ太も聞き返せなかった。入社してからずっと、もっと頑張れば報われると信じて、走る速度だけを上げてきた。その一言はエレベーターで一階に降りるあいだも消えなかった。
会社を出ると、まっすぐ駅へは向かわず、いつもとは違う路地に折れた。早く帰る気になれなかった。
横に傾いた鞄
細い路地の奥に、灯りがひとつあった。古い木の引き戸に、屋号らしきものは出ていない。ただ、軒下に小さな提灯がひとつ灯り、わきの木札に「夜ひらく古書店」と墨で書いてあった。こんな時刻でもここはまだ店を開けているらしかった。
引き戸は思いのほか軽く開いた。天井まで本が積まれた小さな店で、紙とほこりの匂いがした。棚のあいだでは客が二、三人、背を丸めて本をあらためている。奥のカウンターでは年配の店主が、ちょうどひとりの客の会計をしているところだった。包んだ本を渡し、釣り銭を木皿にのせる。「毎度」。その客がコツ太と入れ替わるように出ていくと、店主は火にかけた湯のほうへ向き直った。
「いらっしゃい。冷えるね、今夜は」
店主は手元に目を落としたまま言った。コツ太は半分入ったところで足を止めた。本を買いに来たわけではない。何か言わなければと思ったが、うまく言葉が出てこなかった。
「すみません。灯りが、見えたので。つい」
「それでいい。うちはたいてい灯りにつられて入ってくる人ばかりだ。寒かったろう。そこに掛けなさい」
店主はカウンターの前の古い丸椅子をあごで示した。コツ太は迷ったが、断る理由も見つからず、鞄を足元に置いて腰を下ろした。
店主は背後の棚から、ひとつの器を選んで湯を注いだ。棚には揃いではない古い磁器や陶器が並び、どれも安物には見えなかった。差し出されたのは淡く青みを帯びた白磁の小さな碗で、中の茶は淡い金色をしていた。
「いえ、自分は客というわけでは」
「本を買いに来た人は買って帰る。それでいい。だが、灯りにつられて入ってきて、こうして腰を下ろす人にはその日の茶を一杯出す。それが、この店のただひとつの作法でね。代金もいらない。今夜は台湾の凍頂烏龍だ。私は毎晩、違う茶を違う器で試すんだ。茶も本と同じで、試さなければ何も始まらん」
断りそびれて、コツ太は両手で碗を受け取った。温かさが、かじかんだ指先にしみた。ひとくち含むと、淡い甘みが、舌の奥に長く残った。少しだけ、肩の力がゆるんだ。
コツ太がふと棚に目をやった。どの本も表紙に値札は貼られていない。かわりに、表紙をめくった内側の隅に鉛筆で小さく値が書き込まれている。一冊ずつ、店主が手にとって見定めた値なのだろう。安くはないものもまじっていた。
ふと視線を戻すと、店主の目が、自分の足元の鞄に向いているのに気づいた。持ち手が千切れそうなほど書類を詰め込んだ鞄は重みで横に傾いている。はみ出した一枚に走り書きした赤字の『要・再提出』まで店主の目に留まっているようだった。
「ずいぶん、重そうな鞄だね」
コツ太は曖昧にうなずいた。店主はその鞄から視線を上げた。
「働きすぎて疲れた顔と、やっても報われなくて疲れた顔は別ものでね。君のは後のほうに見える」
図星だった。見知らぬ相手だという遠慮より、こぼしてしまいたい気持ちのほうが勝った。
「そうなんです。何をやっても手応えがなくて。残業も頼まれた仕事も全部こなしてる。なのに、ちっとも報われない。今日も上司に言われました。量はこなしてるんだけどね、って。その先は何も言ってくれませんでした」
「量はこなしている、か」
店主は鞄の口からはみ出した書類の束に、もう一度目をやった。どれも行き先がばらばらに見えた。
「詰めるだけ詰めて、どこへ向かうかは決めていない。君の疲れはこなした量のせいじゃない。向かう先を誰も決めていないせいだ。それは量の問題ではなく、方向の問題かもしれんね」
方向。コツ太はその言葉を口の中で繰り返した。残業を増やすことしか頭になかった自分にはなかった言葉だった。
『2倍より10倍が簡単』の逆説:2倍は結果の敵だ
「方向、ですか。僕はとにかく量をこなしてます。誰よりも残業して、誰よりも数を出して。それでも評価されない。だったら、もっとやるしかないじゃないですか」
「その『もっと』で、君は今夜、ここにいる」店主は静かに言うと、背後の棚から一冊を抜き出した。「同じ袋小路を歩いた人間が書いた本が、ちょうどある」表紙には『10倍成長 2倍より10倍が簡単だ』とあった。
その真新しい表紙を見て、コツ太は少し意外に思った。「ずいぶん新しい本なんですね。古書店だから、てっきり古いものばかりかと」
「私も長いあいだ、古典のほうが格上だと思っていた」店主は表紙を指でなでた。「何百年も読み継がれてきた本には嘘がない。いまとはまるで違う時代の、違う物の考え方に、こうして触れられる。それは本というものにしかできないことだ」
「じゃあ、こういう新しい本は」
「馬鹿にはできんよ。いまを生きる人間の悩みに、ひとつの答えを見つけた者がいる。人というのはね、自分で思うほど、よくできていない。脆くて、困っている最中ほど、自分を上から眺められなくなる。そんなときは同じ時代の誰かが差し出した一冊が、いちばん効くこともある」
店主は棚の他の本へ目をやって、ふっと笑った。
「もっとも新しい本の大半は玉石混淆でね。読んでも何ひとつ残らない、薄いものも山ほどある。だが、それは古典とて同じだ。古いから尊い、新しいから軽いという話じゃない。古い本も新しい本もひっくるめて、効く一冊を見抜いて、要る人の手に渡す。それだけの店だよ」
そういうものか、とコツ太は思った。本に新しいも古いもない。これまで考えたこともない見方だったが、不思議と、すんなり腑に落ちた。
「これを書いたのはダン・サリヴァンという、経営者のコーチでね。副題に、こうある。2倍より10倍のほうが簡単だとね」
「逆でしょう。2倍より10倍のほうが、10倍大変に決まってます」
「そう思うね。私も最初はそう思った。だが著者はこう言うんだ。2倍の思考こそが、結果の敵なのだと」
コツ太は碗を置いた。言っていることが、まるでのみ込めなかった。
「いまの2倍を目指すとき、人は何をすると思う」
コツ太は自分のデスクを思い浮かべた。「いまのやり方のまま、もっと速く、もっと多くやります。残業を増やして、資料の数を増やして」
「そうだ。やることのリストを2倍にして、走る速度だけを上げる。いまの自分の延長線上をただ駆けるんだ。著者はそれこそが結果の敵だと言う」
「でもそれしか方法がないじゃないですか。量をこなさなきゃ、土俵にも立てない。人より多くやるのが、まず当たり前でしょう」
「いけなくはない。ただ、その道はきつい。著者の言い方を借りればこうだ。十パーセント良くしようとした瞬間、君は世界中の全員との賢さ比べに放り込まれる。同じ土俵で、ほんの少し相手より上手くやろうとする競争だ。そこではよほどの幸運がない限り、君は勝てない」
コツ太は黙った。たしかに自分は同じやり方のまま、隣の同期より少しだけ多く、少しだけ速くやろうとしていた。賢さ比べ。その言葉が面談室の白い紙と重なった。
賢さ比べから、降りる
「では10倍はどうなんです。もっと無理な話に聞こえますが」
店主はページをめくり、ある一節を指でなぞった。
「ここに、ある技術者の言葉が引かれている。10倍を目指すと、それはたいてい100倍難しくはならない。むしろ、ときに文字どおり簡単になる。なぜなら、視点を変えるほうが、まわりの全員より賢くあり続けるよりもずっと安上がりだからだ、と」
「視点を変える、ですか」
「そうだ。2倍なら、いまのやり方を少し速くすればいい。だが10倍はいまの延長では物理的に届かない。そうと分かって初めて、人は走り方そのものを疑うんだ」
「やり方を疑う」
「著者の言葉では10倍は『もっと』ではない。むしろ『より少なく』だ、とある。いまのやり方を手放させ、本当に効くひと握りに絞らせる。それが10倍という数字の仕掛けでね。私の言い方にすれば、2倍は量の話、10倍はその絞り込む方向の話だ。だから著者は言う。10倍は2倍より簡単だ、と」
そこで店主は本を閉じ、まっすぐコツ太を見た。
「君に足りないのは量をこなすことではない。方向を考えることだ」
方向を考える。言葉の意味は分かる。だが、現場の現実はそう単純じゃない。
「でもそれは経営者の話でしょう」コツ太は思わず言い返した。「会社員の僕に、仕事を捨てる権限なんてない。頼まれた以上、全部やるしかないんです」
「全部を捨てろとは言っていない。すべてに百点を狙うのをやめろと言っているんだ。十のうち八は合格点が出たら、そこで手を止める。そうして浮いた時間と力を残りの二つに振り向ける。手を抜くんじゃない。注ぐ先を選ぶんだ。それもただ量を移し替えるんじゃなく、今までの走り方そのものを変える実験にね。会社員にできる方向の変え方はそれだろう」
コツ太は口をつぐんだ。八つは合格点で締めて、残りの二つに力を寄せる。その発想はこれまでの自分にはなかった。残業時間を2倍にしたところで、面談室のあの一言は変わらない。それだけはもう自分でも分かっていた。
店主は湯をつぎ足しながら、付け加えた。
「それと、この本はもともと経営者のために書かれたものだ。10倍という派手な数字に、踊らされなくていい。大事なのは数字ではなく、量を増やす道から、方向を選ぶ道へ、頭を切り替えられるかどうかだ」
「でもご主人」コツ太は顔を上げた。「10倍を狙って、選んだ二割のほうまで外したら、どうなるんです。この本に出てくるのはうまくいった人ばかりじゃないですか」
店主はめずらしく愉快そうに目を細めた。
「いい問いだ。その通りでね。この手の本は賭けに勝った者だけが書く。同じ数だけ、八割を手放して何もかも失った人間がいる。だが、彼らは本を書かない。10倍は簡単だという言葉の半分は生き残った者の錯覚だ」
「じゃあ、当てにならないってことですか」
「そうは言っていない。本の値打ちはそこでは決まらない。どこで外れるかを自分の頭で言えるかどうかだ。この本が正しく効くのは捨てる八割が、本当にどうでもいい時だけ。その見極めまでは本は教えてくれない。そこは君が引き受けるしかない」
ミケランジェロはなぜ夜ごと遺体を彫ったのか
店主は本の中ほどにある一枚の挿絵を見せた。彫刻のための、人体の素描だった。
「著者は若き日のミケランジェロの話を引いている。彼は十七歳のとき、人体を本気で彫りたくて、夜ごと遺体を解剖して、筋や腱のつき方を学んだ。捕まれば死罪になる時代だ。それでも彼は表面をなぞるだけの彫刻に我慢できなかった。皮膚の下で、何が形をつくっているのかを知りたかった」
「ずいぶん、極端な人ですね」
「極端だね。だが要点はここだ。彼は彫る数を増やしたのではない。一体を誰よりも深く彫ろうとした。表面の作品を量産する道ではなく、たったひとつを底まで彫り抜く道を選んだ。それが、後の彼をつくった」
店主は手元の茶をひとくち含んでから、こう続けた。
「私もね、若い頃は出版社で本の編集をしていた。手柄を立てたくて、いちどに何冊もの単行本を抱えたことがある。どれも六十点の出来で、誰の心にも残らなかった。ある年、思いきって担当を半分に減らして、一冊に力を注いだ。すると初めて、読者から手紙が来た。本を読んで眠れなくなったとね。数だけ追っていた頃には一度もなかったことだ」
声の底に、長く手放せずにいた悔いが沈んでいた。
数は多いのに、刺さらない
店主の昔話を聞きながら、コツ太はそれが過去の話ではないことに気づいていた。少し迷ったが、口に出してみることにした。
「それ、まさに今の僕です。頼まれてもいない資料まで、誰より多く抱えて。たくさん出せば認められると思って。でも今日も上司に言われました。量はこなしてる、って。数だけは多いのに、たぶん一件もちゃんとは刺さっていない。こうして話してみて、やっと、それが何なのか分かった気がします」
「上司が言わなかった『その先』を君はいま、自分で見つけたわけだ」
「あんまり、嬉しくない発見ですけどね」
コツ太が苦笑すると、店主も小さく笑った。それから、棚の一角に目をやって、ふと声を落とした。
「量で誤魔化す癖はね、家にも持ち帰ってしまう。私の妻は昔よくこう言っていた。あなたは家にいるけれど、ここにはいないと。仕事の量を頭から下ろせないまま、体だけを家に置いていたんだな」
店主はそれ以上、妻のことを語らなかった。コツ太も尋ねなかった。ただ、古い紙と茶の匂いの満ちたその店で、その一言だけが、長く残った。
店じまいの時間なのだろう。コツ太が腰を上げかけると、店主はカウンターの『10倍成長』をこちらへ静かに滑らせた。
「これは貸しておく。代金はいらない。気の済むまで読んで、いつか返しに来てくれれば、それでいい」
「いいんですか。こんな、高そうな本」
「本にはちゃんと値をつけて売っているよ。これでも商いだからね」店主は湯呑みを置いた。「だが、今の君からは取らない。本というのは読みたい人の手元にある時間が、いちばん長いほうがいい。その一冊はいまの君のための本だ」
コツ太は礼を言って、その一冊を鞄にしまった。書類で膨れた鞄のいちばん上に、自分で選んだ一冊が、そっと加わった。
帰り道で、ひとつだけ決めた
店を出ると、夜の冷気が顔にあたった。コツ太は駅へ向かう道で、ひとつだけ決めていた。明日からはこなす量を増やすのをやめてみよう。そのかわり、いま抱えている仕事の中で、本当に効くひとつはどれなのかをまず考えてみよう。
何かが解決したわけではなかった。方向を変えると言ってもその方向をどう選べばいいのか、まだ何も分かっていなかった。
ただ、量を増やせば報われるという、これまで一度も疑わなかった前提が、今夜たしかに揺らいだ。
方向を変える。決めたはいいが、その方向を人はどうやって選ぶのか。コツ太はまた、あの路地の灯りを訪ねることになる。
- 「もっと頑張る」とはたいてい「いまのやり方を量で増やす」ことになっている。
- 量を増やす道は同じ土俵での「賢さ比べ」だ。少しの差を競う限り、消耗だけが残る。
- 必要なのは量ではなく、方向。やることの大半を手放し、本当に効くひと握りに絞る。
- 月曜の一歩:今日のうちに、抱えている仕事から「これだけは効く」ひとつを選び、そこに時間を寄せてみる。
量を2倍に増やすより、10倍を狙って、進む方向そのものを変える。本書のこの逆説を私はきれいごとだとは思わない。同じ業界に、慣習とはまるで違う道を選び、今では世界の一流の舞台に立つ経営者を間近で知っているからだ。十年前、まだ成功をつかむ前から、その人だけは明らかに周りと違うビジョンを持っていた。私自身も今、別の方向を通そうとして反発を受ける側にいる。だからこそ分かる。「方向を変える」のは口で言うほど簡単ではない。盲信はしない。ただ頭の片隅に置いておくと、迷った夜に、ふと背中を押される。そういう一冊だった。