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第2話『The Let Them Theory』

コツ活 第2話『The Let Them Theory』メル・ロビンズ|古書店のカウンター
コツ活 編集部
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今夜の1冊

  • 著者:メル・ロビンズ、ソーヤー・ロビンズ(母娘の共著)
  • どんな本か:他人を変えようとするのをやめると、自分の時間と力が戻ってくる、という本だ。合言葉は2語、レット・ゼム。ただし肝は後半にあって、前半だけで止めるとかえって事故る。

朗読で聴く

この記事の物語部分はフィクションです。登場人物・書店・会話はすべて架空で、実在の人物・団体とは関係ありません。

取り上げる書籍は実在しますが、作中の要約・解釈・批評は編集部による独自のもので、著者・出版社の見解を代弁するものではありません(正確な内容は原書でお確かめください)。

第2話『The Let Them Theory』

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目次
本文
オープニング
コツ活 第二話 The Let Them Theory
第一章 四回目
火曜の夕方だった。
コツ太は入社して6年目になる。日用品を作って、全国の営業所を通して売る会社だ。そこで、秋のカタログを作る係をしている。
カタログには商品が12点のる。1点につき、写真と、仕様と、説明の文章がいる。その原稿を集めて、印刷所へ渡す。渡す日は金曜と決まっていた。
12点のうち、9点はコツ太が自分で書く。残りの3点は、後輩が書くことになっていた。
その3点が、来ない。
コツ太は自分の席から、斜め前の背中を見た。入社2年目の後輩だ。画面に向かって、何かを打っている。忙しそうではある。ただ、それがカタログの原稿かどうかは、ここからでは分からない。
コツ太は立って、その席まで歩いた。
コツ太カタログの3点、どんな感じ
後輩が振り向いた。
後輩あ、すみません。やります
コツ太金曜だからね
後輩はい
席に戻って、コツ太は椅子に座った。腕時計を見る。四時半だった。
四回目だ、と思った。
一回目は先月の終わりに言った。まだ余裕があったから、軽く言った。二回目は、その週の金曜に言った。少し急かす言い方になった。三回目は、月曜の朝に言った。メールにした。文面を三度書き直した。急かしていると思われたくなかったからだ。
そして四回目が、いま。
四回とも、返ってきた言葉は同じだった。すみません、やります。
言い方は毎回変えてきた。二回目は、週の終わりなら区切りがいいと思って金曜にした。三回目は、口で言うと角が立つ気がしてメールにした。四回目のいまは、メールだと冷たいかと思って口に戻し、機嫌のよさそうな夕方を選んだ。
それで何が変わったか。
何も変わっていない。原稿は来ない。変わったのは、コツ太のほうだった。
この四回のあいだ、コツ太は一日じゅう、あの3点のことを考えていた。出社する電車で、今日は言うべきかを考える。弁当を食べながら、さっき目が合ったのに言えなかったことを考える。帰り支度をしながら、今日も言えなかったと考える。
そのあいだ、後輩は普通に働いて、普通に帰っている。
課長コツ太くん
課長が通りかかった。
課長カタログ、入稿は金曜だよね
コツ太はい
課長間に合う?
コツ太は一拍おいてから答えた。
コツ太間に合わせます
課長はうなずいて、そのまま行った。
間に合わせます、と言った。間に合います、とは言えなかった。その差が、自分の胃のあたりに残った。
第二章 灯りのある路地
その日は、まっすぐ帰る気にならなかった。
駅までの道を途中で外れて、細い路地に折れた。何度か来ている道だ。奥にひとつだけ灯りがある。ガラス越しの明かりが、歩道まで届いていた。
夕方に開いて、夜まで開けている店だ。引き戸を開けると、紙と、コーヒーの匂いがした。
入ってすぐの平台に新刊が積んである。その先に喫茶の席が三つ四つ。いちばん奥は天井までの棚で、古い本が詰まっている。新刊と、古本と、コーヒー。三つを一軒でやっている店だった。
コツ太は席のひとつに座った。
第三章 疲れた顔をしている
すずいらっしゃいませ
カウンターの奥から、若い店員が顔を出した。すず、という名札をつけている。何度か顔を合わせているので、コツ太もいまさら名乗らない。
コツ太コーヒーください
すずはい。あの、顔、疲れてますよ
コツ太そんなに?
すずけっこう
すずは豆を挽きはじめた。音がして、話さなくていい時間ができた。コツ太はそれに助けられた。
コーヒーが出てきた。ひとくち飲んでから、コツ太は口を開いた。自分でも意外だった。
コツ太何回言っても変わらない人がいるんですけど
すずわかります
コツ太まだ何も言ってないですよ
すずでも、わかります
すずは布巾でカウンターを拭きながら言った。
すずわたし、四年生なんですけど、班のグループ課題で一人だけ絶対やらない子がいて。三回言いました。三回とも、やるやるって言うんですよ。やらないんです
コツ太どうしたんですか
すず結局わたしがやりました
コツ太まあ、はい
すずで、あの、そういう話じゃないんですね、たぶん
コツ太は笑った。今日はじめて笑った気がした。
コツ太うちの場合、僕がやるわけにいかないんです。その3点は、後輩の担当なので
第四章 その人は変わらない
奥の作業台のほうから音がして、年配の男が出てきた。前掛けで手を拭いている。すずが店長と呼んでいる人だ。
店長何回言っても変わらん、と言ったかね
コツ太聞こえてました?
店長聞こえた
店長はカウンターの内側に入って、湯を沸かしはじめた。
店長言い方を変えたかね
コツ太変えました。時間をずらして、文面にしてみて、また口に戻して
店長何回だ。四回か
コツ太よく分かりましたね
店長三回でやめる人は、ここまで疲れた顔をせんよ
コツ太は何も言えなかった。
店長先に言っておくと、その人は変わらん
コツ太なんでですか
店長人は、自分が変わりたいと思ったときにしか変わらんからだ
店長は湯の様子を見ながら続けた。
店長あんたが四回言ったのは、正しいことだと思うよ。期日はある。仕事だからね。ただ、正しいかどうかと、相手が動くかどうかは、別の話だ
コツ太押しても駄目ってことですか
店長押すと、押し返される。人は、自分のことは自分で決めたい。そう作られている。だから外から押されると、内容が正しくても、まず押し返す。あんたが四回押して、四回とも同じ返事だったのは、そういうことだ
コツ太はカップを両手で持った。
コツ太じゃあ、どうすればいいんですか
店長は湯を止めて、奥の棚のほうへ行った。少し探して、一冊を持って戻ってきた。表紙が明るい緑の、洋書だった。
店長これだ。うちの洋書は、家内が選んでる
コツ太は表紙を見た。英語だった。
コツ太原書ですか
店長英語だ。題は、ザ・レット・ゼム・セオリー。アメリカの人が書いた本で、いま向こうでよく売れている
第五章 レット・ゼムという言葉
すずが手を止めた。
すずあの、レット・ゼムって何ですか
店長英語だ。レットは、させておく。ゼムは、彼ら。合わせて、彼らのしたいようにさせておけ
すず放っておけ、みたいな?
店長近い。ただ、そこがこの本のややこしいところでね
店長はカウンターに本を置いた。
店長著者は本のなかで、これは諦めとは違う、とわざわざ書いている。手を引くことでもない、と。あくまで、相手をこちらの思うように動かそうとするのをやめる、という意味だ、と
すず違うんですか、それ
すずが聞いた。コツ太も同じことを思っていた。
店長本人のなかでは違う。外から見ると、同じだ
店長は肩をすくめた。
店長そこが、この本のいちばん大事なところだ
コツ太は本を手に取った。厚い。
店長読めば分かることは、私が言わなくていい
店長はそう言って、本をコツ太のほうへ押した。
第六章 この本に出てこない相手
コツ太使えそうです
店長そうだろうね。ただ、読む前に一つだけ言っておく
コツ太はい
店長この本には、使えるところと使えないところがある。使えないほうを先に言っておこう。読んでから気づくと、遠回りになるからね
店長は本の上に手を置いた。
店長読みながら、著者が例に出す相手を数えてごらん。友達。夫。子ども。親。別れた恋人。それに、職場の話も出てくる
コツ太職場も出てくるんですか
店長第四章が、まるまる仕事の話だ。仕事は人生のストレスの一位だ、上司は配偶者と同じくらい心の健康に響く。そう書いてある
コツ太後輩が原稿を出さない、みたいな話もありますか
店長働いても昇進させてくれない上司の話が出てくる。あんたのとは、向きが逆だな
コツ太その人は、どうすればいいって書いてあるんですか
店長辞めろ、だ
コツ太辞めろ
店長あんたは行き詰まってなどいない、それは自分についている嘘だ、仕事はいつでも辞められる。そう書いてある
コツ太はカップに手を伸ばして、そのまま止めた。
店長それで、出てくる相手に共通していることがある
コツ太なんですか
店長その人がやらなくても、あんたが困らない
コツ太は顔を上げた。
店長友達が旅行に自分を誘わなかった。夫が健康診断に行かない。同僚が不機嫌だ。どれもね、放っておいて構わない。その人がやらなかった結果を引き受けるのは、その人自身だからだ
店長は本の背を指で叩いた。
店長その代わり、一種類だけ、本文で扱っていない相手がいる
コツ太誰ですか
店長その人がやらなかった結果を、あんたが被る相手だ
コツ太は、斜め前の背中を思い出した。
コツ太後輩です
店長そうだ
コツ太僕、放っておけないってことですか
店長放っておけるよ。放っておいた結果が、あんたに返ってくるだけだ。金曜に3点そろわなかったら、印刷所に頭を下げに行くのは、後輩かね
コツ太僕です
店長そういうことだ
第七章 誰が謝りに行くの
平台のほうで、本を並べていた女性が顔を上げた。ハルさんという。店長の奥さんで、新刊と洋書のほうを見ている人だ。
ハルで、放っておいて金曜に間に合わなかったら、誰が謝りに行くの
コツ太僕です
ハルじゃあ、放っておくだけじゃ済まないわね
ハルさんは並べる手を止めずに言った。責める言い方ではなかった。単に、そうだよね、という言い方だった。
店長ハル。話の途中だ
ハル途中でも言っときますよ。この人、そこを言わないと本を売るだけで満足しちゃうから
店長言うつもりだったよ
ハルどうだか
すずが小さく笑った。
コツ太も笑ったが、笑いながら、頭の隅で引っかかっていた。放っておくだけじゃ済まない。それはそうだ。では、放っておいたあと、何をすればいいのか。
店長そこも書いてある
店長が言った。
店長ただし、後ろのほうにな
コツ太後ろ、ですか
店長うん。前半は気持ちのいい話だ。手放せ、楽になれ、と書いてある。後半は、そのあとの話だ。だいたいの人は前半で満足して、後半まで行かん
コツ太は本を見た。三百ページ以上ある。
コツ太これ、買います
店長英語だよ
コツ太辞書は引きます
店長はうなずいて、値札を見た。
店長3,200円だ
コツ太3,200円
店長訳が出ていないからね。新品だと4,500円ほどする。古本でも、そこまでは下がらん
コツ太が財布を出すと、店長が付け足した。
店長それと、コーヒーが700円
コツ太700円、取るんですか
すず査定のときだけサービスなんです
コツ太は1,000円札を4枚出した。おつりは100円だった。
すずまたコーヒー飲みに来てくださいね
すずが言った。
すず明日のは浅煎りです
第八章 言わなかった三日間
その夜、コツ太は帰りの電車で本を開いた。
英語は思ったより易しかった。難しい言葉はほとんど使われていない。著者は、テレビでも話す人らしかった。話し言葉に近い。
最初の章は、まさに自分の話だった。
正しいことを言えば相手が納得すると思っている。丁寧に頼めば動いてくれると思っている。だから言い方を工夫し、タイミングを計り、それでも動かないと、自分のやり方が悪かったのだと思う。そうやって、力を全部相手に渡してしまう。
問題はあなたではない、と著者は書いていた。問題は、あなたが知らないうちに他人へ渡してしまっている力のほうだ。
コツ太は電車のなかで、思わずうなずいた。四回の催促は、そのまま四回の敗北だった。
自分の一日を、誰が使っていたか。あの3点のことを考えていた時間は、全部、後輩の手のなかにあった。後輩がそう仕向けたわけではない。コツ太が勝手に渡していた。
そのあとに、理論の出どころが書いてあった。目新しいものではない、と著者自身が言っている。ストア派も、仏教も、同じことを二千年前から言っている。自分に動かせるものと、動かせないものを分けろ。動かせないほうに力を注ぐな。
では、なぜこの本が売れているのか。著者はそこも書いていた。
レット・ゼム。単語が二つしかないからだ。
たった二語。疲れているとき、人は長い理屈を実行できない。理屈を思い出すこと自体が仕事になってしまう。二語なら、思い出せる。実際、この二語を体に彫った人が世界中にいて、著者はそれを見て、本を書くことにしたのだという。
コツ太は口のなかで言ってみた。レット・ゼム。
たしかに、覚えられる。
二章に入ったところで、駅に着いた。
家に帰って、風呂に入って、続きを開いた。二章のなかほどで、まぶたが落ちた。そのまま寝てしまった。
翌朝、コツ太はひとつだけ決めて出社した。
言わない。
水曜、言わなかった。
朝、斜め前の背中を見た。声をかけたくなった。かけなかった。かけない、と決めているというだけで、迷う時間がまるごと消えた。それがこんなに楽なのかと思った。
昼休み、弁当を食べながら、あの3点のことを一度も考えなかった。六年ぶりくらいに、昼休みが昼休みらしかった。
午後は自分の9点に取りかかった。集中できた。二日ぶんくらい進んだ気がした。
木曜、言わなかった。
もっと楽だった。朝から自分の原稿だけを見て、夕方には9点が全部仕上がった。予定より一日早い。
帰り道、コツ太は少しだけ得意な気持ちになっていた。二語で、こんなに変わるのか。
静かな二日間だった。
その静けさが何を意味するかは、考えなかった。
第九章 二点が落ちた
金曜の夕方、後輩が席まで来た。
後輩これ、1点ぶんです
紙を受け取った。カタログの原稿だ。写真の指定と、仕様と、説明の文章。ちゃんとできている。
コツ太は紙を見て、それから顔を上げた。
コツ太あと2点は
後輩の目が泳いだ。
後輩すみません。今日は、ちょっと無理そうで
コツ太今日、金曜だよ
後輩はい
コツ太入稿、今日なんだけど
後輩は黙った。
言ってしまってから、また押していることに気づいた。五回目だ。コツ太は一度、息を吸った。
コツ太何があったの
聞いてから、あ、と思った。
この言葉を、いままで一度も使っていなかった。
四回とも、まだですか、と聞いていた。どんな感じ、金曜だからね、お願いね。全部、進み具合を確かめる言葉だ。何が詰まっているのかは、四回とも聞いていない。
後輩は少しためらってから、口を開いた。
後輩今週、営業所からの問い合わせが二件入って。両方とも今週中って言われてて
コツ太聞いてない
後輩言えなかったです
コツ太なんで
後輩は下を向いた。それから、こう言った。
後輩先輩、今週なんにも言わなかったんで
コツ太は動けなくなった。
後輩もう頼んでないのかと思って。火曜まで何回も聞かれてたのが、水曜から急に何も言われなくなったんで。だから、もういいやつなんだなって
コツ太そんなことは
後輩ですよね。すみません
後輩は謝った。謝る必要のないほうが謝っていた。
課長が通りかかって、机の上の紙束を見た。
課長入稿、どう
コツ太10点そろってます。あと2点が来てなくて
課長はうなずいた。
課長来週の水曜までにずらすよ。印刷所には僕から言う
コツ太水曜、ですか
課長水曜に入れてもらえれば、あっちが木金で刷って出せる。土日月の売り場に間に合う。これがいちばん後ろだ
コツ太すみません
課長うん
課長は行った。怒られたほうがまだよかった、とコツ太は思った。
席に戻って、コツ太は自分の手を見た。
放っておいた。本のとおりにやった。押すのをやめた。楽になった。集中できた。自分の9点は一日早く仕上がった。
そして2点が落ちた。
落ちただけではない。後輩は、見放されたと思っていた。
コツ太は、放っておいたつもりだった。後輩から見ると、それは、見捨てられたのと同じだった。
店長の言葉が戻ってきた。本人のなかでは違う。外から見ると、同じだ。
あのとき聞き流した。
第10章 式の後半
その夜、コツ太は家で本を開いた。
まず、自分がどこまで読んだかを確かめた。二章のなかほどだった。栞がそこに挟まっている。
そのすぐ先に、こう書いてあった。
レット・ゼムは、式の前半にすぎない。ここで止まってはいけない。もうひとつ、決定的に重要な段がある。
コツ太は、その一行を三回読んだ。
止まってはいけない、と書いてあった。自分は、そこで止まって寝ていた。
続きを読んだ。
後半は、レット・ミーという。ミーは、自分。レット・ゼムが「相手のしたいようにさせておく」なら、レット・ミーは「では、自分は次に何をするか」だ。
著者ははっきり書いていた。力の源は、他人を管理することの側にはない。自分がどう応じるかの側にある。だからこの理論は、二つの段をそろえて言ったときにだけ働く。
コツ太は本を置いた。
二語だと思っていた。本当は四語だった。
そして自分は、前半の二語だけを持ち帰って、三日間そのとおりにやった。押すのをやめた。それは正しかった。押すのをやめたあと、何もしなかった。それが間違いだった。
もうひとつ、気づいたことがあった。
四回の催促を、もう一度数え直してみた。一回目、まだですか。二回目、金曜だからね。三回目、進んでますか。四回目、どんな感じ。
四回とも、催促だった。四回とも、相手の進み具合を確かめる言葉だった。
何が詰まっているのかは、四回とも聞いていない。
つまりコツ太は、押していたあいだも、何も知らなかった。押すのをやめたあとも、何も知らなかった。知らないという点では、四回押した週と、押さなかった三日間は、まったく同じだったことになる。
本の後半には、押すのをやめたあとに何をするかが書いてあった。
まず、謝る。それから、閉じた質問ではなく、開いた質問をする。はい、いいえ、で終わらない聞き方だ。次に、下がって、相手の行動を見る。最後に、進んだところを認めて、自分は変えたい振る舞いを自分でやってみせる。
コツ太は読みながら、半分くらいのところで手を止めた。
この手順は、たぶん、そのままでは使えない。
著者が前提にしているのは、時間の制約がない場での、腰を据えた対話だ。急がずに、対面で、愛情から話しなさい、と書いてある。相手は、夫や、友人や、子どもだ。
会社には期日がある。月曜の朝に、腰を据えた対話はできない。
それでも、使えるところはあった。
謝る。開いた質問をする。それから、押すのをやめて、自分の側でやれることをやる。
自分の側でやれること。
コツ太は紙を出して、書いてみた。
金曜が締切だと伝えていた。それだけだ。書き方の見本は渡していない。途中で見せる約束もしていない。他に何を抱えているかも聞いていない。
期日だけを渡して、あとは相手の頑張りに任せていた。任せておいて、進まないと催促していた。
やり方を知らなかったわけではない。六年やっている。自分が入った年に、当時の先輩が見本を一枚くれたことも覚えている。あれがあったから書けた。
ただ、自分の9点を抱えていた。見本を作る三十分が、どこにも無いと思っていた。
無いと思っているあいだに、催促を四回した。廊下で呼び止めて、メールの文面を三度書き直して、言うか言わないかで一日じゅう迷った。あれを全部足せば、三十分はあった。
これは、相手の問題だろうか。
第11章 火曜に一度見せて
月曜の朝、コツ太は後輩の席へ行った。
コツ太ちょっといい
後輩はい
コツ太金曜のこと、謝りたくて
後輩が顔を上げた。
コツ太あの三日、僕が何も言わなかったから、もういいやつだと思わせた。そこは僕が悪かった
後輩いえ、私が
コツ太順番に言わせて
コツ太は続けた。
コツ太そのうえで聞きたいんだけど。あの3点、何が詰まってた
後輩は少し考えてから答えた。
後輩営業所の件が二つ入ったのが、まずあります。それは先輩に言えばよかったです。あと、正直に言っていいですか
コツ太うん
後輩何を書けばいいか、分かってませんでした
コツ太は黙って聞いた。
後輩仕様は表を見れば書けるんです。説明の文章のところが、どのくらいの長さで、どういう調子で書けばいいのか分からなくて。去年のカタログを見ても、書いた人によってバラバラで
コツ太聞いてくれれば
後輩聞けなかったです。二年目で、これ聞くのはまずいかなって
コツ太は自分の6年前を思い出した。同じことを思っていた。聞けば早いと分かっているのに、聞いたら評価が下がる気がして、分かったふりをしていた。
コツ太分かった
コツ太は自分の席から、原稿を1点持ってきた。自分が書いた9点のうちの1点だ。
コツ太これ、見本にして。長さも調子も、これに合わせてくれればいい
後輩あ、助かります
コツ太それと、もうひとつ変える
コツ太はカレンダーを指した。
コツ太締切は水曜なんだけど、火曜に一度、途中でいいから見せて。完成してなくていい。書きかけでいい
後輩火曜、ですか
コツ太うん。火曜に見せてもらえれば、その日のうちに直せる。水曜にまとめて出されると、直す時間がない。だから火曜
後輩はうなずいた。
コツ太あと、他に急ぎが入ったら、その日に言って。抱えなくていい。順番は僕が課長と相談する
後輩はい
コツ太は席に戻った。
一度も、まだですか、とは言わなかった。急かしていない。押していない。
代わりに、自分の側の作り方を三つ変えた。見本を渡した。途中で見せる日を作った。他の仕事が入ったときの逃げ道を作った。
全部、自分の側でできることだった。
第12章 十二点
火曜の昼、後輩が紙を持ってきた。
後輩途中ですけど
3点ぶんあった。二つは書き上がっていて、ひとつは半分だった。
コツ太は読んだ。悪くない。見本に寄せてある。直したほうがいいところが二か所あった。
コツ太ここ、仕様と説明で数字が違ってる。あと、ここは長いから半分でいい。それ以外はこのままでいける
後輩それだけですか
コツ太それだけ
後輩は少し驚いた顔をして、席に戻った。
火曜の夕方に、残りが仕上がった。3点そろって、先に出してあった10点と合わせて、12点になった。
印刷所に渡して、席に戻ったとき、コツ太はひとつのことに気づいた。
後輩は、何も変わっていない。
催促していたころと同じ人だ。急に責任感が芽生えたわけでも、仕事が速くなったわけでもない。他に急ぎが入れば、また詰まるだろう。
変わったのは、こちら側の作り方だ。
見本があるから書ける。火曜に見せる日があるから、水曜に間に合う。逃げ道があるから、抱え込まない。
相手を変えようとしていたあいだ、何ひとつ動かなかった。相手を変えるのをやめて、自分の側の作り方を変えたら、結果だけが動いた。
課長が通りかかった。
課長そろったね
コツ太火曜に一回見せてもらうようにしました
課長ああ、それ、いいね
課長はそれだけ言って行った。
第13章 エピローグ
金曜の夜、コツ太はまた路地に折れた。
引き戸を開けると、すずがカウンターにいた。
すずあ、来た。どうでした
コツ太そろいました。12点
すずおおー
すずは本当にうれしそうな顔をした。この人はいつもそうだ、とコツ太は思った。
奥から店長が出てきた。前掛けで手を拭いている。
店長後半まで行ったかね
コツ太行きました
店長そうか
コツ太二語だと思ってたんです。四語でした
店長は笑った。
店長そうだ。前半で止まる人がいちばん多い。前半は気持ちがいいからね
コツ太はコーヒーを頼んで、椅子に座った。
コツ太ひとつ、聞いていいですか
すずうん
コツ太結局、変わったのは誰だったんでしょう
店長は湯を注ぎながら答えた。
店長あんたが変わったんだろう
コツ太相手を変える本だと思って買ったんですけど
店長そう思って買う人ばかりだよ。表紙にもそう書いてあるように見えるからね
湯気が上がった。
店長ただ、著者はそんなことは一度も言っていない。むしろ逆だ。相手は変えられません、と最初に言い切っている。そのうえで、あんたに残っているものを数えてごらん、と言っている
コツ太自分の出方だけ、ですね
店長それだけだ。それで足りる、というのがこの本の言い分だな
平台のほうから、ハルさんの声がした。
ハルその言い分、半分は本当よ
店長半分か
ハル半分。だって、自分の出方を変えるって、いちばん面倒じゃない。相手に言うほうが、よっぽど楽なんだから
コツ太は思わずうなずいた。
四回の催促は、たしかに楽だった。まだですか、と言うだけでいい。見本を作るのも、途中で見る日を作るのも、こちらの手間だ。
コツ太面倒なほうが効く、ってことですか
ハルそうとは限らないけどね
ハルさんは並べる手を止めずに言った。
ハルただ、楽なほうを四回やって駄目だったなら、面倒なほうを一回やってみる価値はあるでしょ
すずがコーヒーを持ってきた。
すず今日のは浅煎りです
コツ太この前もそう言ってませんでした?
すず言いました。あのとき来なかったじゃないですか
コツ太は笑って、カップを受け取った。
外で風が鳴った。秋が少し深くなっていた。

あとがき

以前、何度言っても直らない相手に、言うのをやめたことがある。楽になった。二週間、本当に楽だった。

そのあいだ相手が何をしていたか。私が怒っていると思って、様子をうかがっていたそうだ。あとで人づてに聞いた。

手を離したつもりだった。相手から見ると、無視だった。

私の失敗:二語で覚えて、前半だけ持ち帰った

この本の合言葉は二語ではない。四語だ。レット・ゼム(相手のしたいようにさせておく)の後ろに、レット・ミー(では自分は次に何をするか)がある。

Let Them is just the first half of the equation. You cannot stop there.

── Mel Robbins, The Let Them Theory

拙訳:レット・ゼムは、式の前半にすぎない。そこで止まってはいけない。

止まるな、と第二章で釘まで刺してある。それでも止まった。二語だから覚えやすいという長所が、そのまま前半だけ持ち帰るという短所になる。

そして厄介なのはここだ。放っておくことと、見捨てることは、外から区別がつかない。 区別は自分の頭のなかにしかない。相手に見えるのは「急に何も言わなくなった」という事実だけである。

私の意見:値打ちは理論ではなく、二語にしたことにある

理論は新しくない。著者自身がそう書いている ── ストア派や仏教の現代版だ、と。

新しいのは短さだ。疲れているとき、人は長い理屈を実行できない。思い出すこと自体が仕事になる。二語なら思い出せる。持ち運びやすさが、この本の発明である。

使えなかったのは、手を離したあとの手順だった。よくできているが条件が厳しい。六か月以上を覚悟しろ。対面で、酒を入れず、時間に追われずに話せ。 期日のある仕事に、その六か月はない。相手が悪いのではなく、時間軸が合っていない。会社員が踏むのはここだ。

足りなかったのは、たぶん一言だった。「押すのはやめる。ただし見放したわけではない」。言わなかったのは、面倒だったからだ。

この本

  • 原題:The Let Them Theory(2024)
  • 著者:メル・ロビンズ、ソーヤー・ロビンズ
  • 日本語版:刊行を確認できなかった(2026年7月時点)。この記事は英語の原書を読んで書いた

こんな人に読んでほしい/見送っていい人

おすすめ度 ★★★☆☆

こんな人に読んでほしい

  • 何度言っても変わらない相手がいて、言うたびに自分だけが消耗している人
  • 相手の機嫌や返事を、一日じゅう気にしてしまう人
  • 「もう放っておこう」と決めたのに、三日で元に戻る人

見送っていい人

  • 理論の新しさを求める人(著者自身が「新しくない」と書いている)
  • 期日のある仕事で、すぐ効く手を探している人(後半の手順に六か月かかる)

★を一つ引いたのは、前半だけで止めると事故るからだ。覚えやすさが、そのまま危うさになっている。

About ME
神保 文吾(じんぼ ぶんご)
神保 文吾(じんぼ ぶんご)
ブログ・コツ活 書評担当
ブログ・コツ活で書評を担当している、神保文吾(じんぼ ぶんご)です。ペンネームですが、書いているのは生身の一人の人間です。学生時代は神保町の古書店でアルバイトをし、毎日本を読む/聞く習慣だけは手放さずにきました。一冊で人生が変わることはありません。けれど読み続けると、十日後、百日後にはなぜか行動が少し変わっている——文字が静かに人を動かす手応えを、何度も味わってきました。流行に踊らされず、盲信もせず、それでも頭の片隅に置きたい一冊を手渡したい。それがコツ活を続ける理由です。
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