「それは私の設計ミスだった」セナの死と技術者の懺悔【『How to Build a Car』3/3】
技術者が背負う「拙劣なエンジニアリング」の十字架
エイドリアン・ニューウェイの自伝『How to Build a Car』において、最も読むのが辛く、しかし技術者として避けて通れないのが第30章だ。1994年5月1日、イモラ・サーキットで伝説のF1ドライバー・アイルトン・セナが死んだ日。ニューウェイは本書の中で、あの事故の原因とされる「ステアリングコラム」について、驚くほど冷徹に自身のミスを解剖している。当時、セナはコックピットの窮屈さを訴え、ハンドルの位置を下げることを求めていた。ニューウェイはそれに応えるため、ステアリングコラムを切断し、より細いパイプを溶接して継ぎ足すという処置を承認した。
彼は書いている。「あれは誰が見ても、拙劣な(bad)エンジニアリングだった」。裁判では、コラムの破損が事故の直接原因とは断定されなかった。しかし、自分が「美しくない」処置を施した部品が、英雄の死の現場にあったという事実。たとえ法的責任はなかろうと、設計者としてあるまじき仕事をしてしまったという罪悪感は、彼が生涯背負い続ける重い十字架となった。彼にとってエンジニアリングとは、単なる計算や図面引きではない。人の命を預かる「聖職」であり、一つのミスが取り返しのつかない悲劇を生む「戦場」なのだ。
逃げずに「現場」に立ち続けるという贖罪
事故後、彼は引退を考えた。自分が設計した車が人を殺したかもしれないのだ。自信は崩壊し、アイデンティティは粉々になった。しかし、彼は辞めなかった。翌日も製図板に向かい、より速く、そして何より「より安全な」車を描き続けた。なぜか。ここで逃げることは、セナの死を無駄にすることであり、自分の罪から目を背けることになるからだ。
彼が心身を削り、家庭を犠牲にしてまで、60代になった今もピットウォールに立ち続ける理由。それは、名声のためではない。二度とあのような悲劇を起こさないよう、自分の目と耳でマシンの挙動を監視し続けるためだ。プロフェッショナルとは、失敗しないことではない。失敗(あるいは悲劇)と真摯に向き合い、その重みごと背負って前に進むことなのだ。彼がピットウォールで見せるあの険しい表情は、勝利への執念であると同時に、亡き友への終わりのない贖罪の表れなのかもしれない。
私たちが学ぶべき「沈黙」の重さ
ニューウェイの告白が私たちに突きつけるのは、「仕事のクオリティに対する責任」の重さだ。私たちはF1マシンを作っているわけではないかもしれない。しかし、適当に流したメール、確認不足のまま提出した書類、安易に承認したプロジェクト。それらが巡り巡って、誰かの人生を狂わせたり、組織に致命的なダメージを与えたりする可能性はゼロではない。
「拙劣なエンジニアリングだった」と認められる勇気。そして、二度と同じ過ちを繰り返さないために、現場から逃げずに監視し続ける覚悟。栄光に彩られたF1の世界の裏側には、こうした地味で過酷な自己規律がある。華やかなシャンパンファイトの裏には、常に技術者たちの沈黙と、胃が痛くなるような緊張感が張り詰めていることを、私たちは忘れてはならない。
現代のデスクに「ピットウォール」を構築せよ
仕事における「聞き逃し」や「伝え漏れ」が致命的なミスに繋がる点では、私たちも同じだ。PC内蔵の頼りないマイクとスピーカーで重要な商談やトラブル対応を行うのは、溶接されたステアリングコラムでレースに出るような危険な行為だ。本当はF1の現場でニューウェイたちも愛用する『RIEDEL(リーデル)』の通信システムが欲しいところだが、あれは一般人が入手できる代物ではない。
そこで私が現実的な「ピットウォール」として愛用してるヘッドセットが、かつて月面着陸の声を伝えたPlantronicsの系譜を継ぐ、Poly(ポリー)の「Voyager Focus 2」だ。RIEDELにも通じる無骨なブームマイクを下ろし、スイッチを入れる瞬間、周囲の雑音は遮断され、私の散らかったデスクは世界と戦うための司令席へと変貌する。「こちらの声、聞こえていますか」。その一言が、驚くほどクリアに相手の脳に届く。プロフェッショナルとは、自分の発する言葉の品質にまで、命を懸ける者のことを言うのだ。