組織の停滞は「リーダー不在」のせい? アリの知性に学ぶ。組織の停滞は「リーダー不在」のせい? アリの知性に学ぶ【『トレイルズ』1/3】
優秀なリーダーという「神話」
書店に行けば、「最強のリーダーシップ」や「カリスマの条件」といった勇ましいタイトルのビジネス書が山積みになっている。まるで、黒いタートルネックを着た天才が一人いれば、すべての問題が解決するかのような口ぶりだ。 ビジネスの現場でも、「強力なリーダーがいないからダメなんだ」「ウチにはビジョンがない」と嘆く声をよく耳にする。 しかし、ロバート・ムーアの著書『トレイルズ(On Trails)』を深く読み込むと、我々が信じている「トップダウン型の指導力」がいかに効率の悪いものであるか、痛烈な事実を突きつけられることになる。
ムーアは、アリがどのようにして道を作るのか、そのプロセスを実験で証明している。一匹のアリの動きをペンで追いかけ、その軌道を記録すると、最初は目も当てられないような迷走線が描かれる。まるで千鳥足の酔っ払いだ。個としての知性は、見るに堪えないレベルである。 ところが、後続のアリたちの軌道を重ねていくと、魔法のような現象が起きる。彼らは先人の「迷走」を少しずつショートカットし、回数を重ねるごとに、その無秩序だった線の束は、定規で引いたように真っ直ぐで太い「最適ルート」へと収束していくのだ。 そこには、地図を持った指揮官は一人もいない。個々の愚かな動きが積み重なることで、どんな天才的な司令官も描けないほど精密な「道」が創発される。これが、リーダーなき組織の正体だ。
「スティグマジー」としてのログ
その秘密は、生物学用語で「スティグマジー(Stigmergy)」と呼ばれるメカニズムにある。これは「環境になされた痕跡による他個体の刺激」を意味する。 アリはフェロモンという化学物質を地面(環境)に残し、外部記憶装置として利用している。「俺についてこい」と叫ぶ代わりに、「ここは餌がある」「ここは通りにくい」という事実だけを淡々と地面に書き込むのだ。 後続のアリはその濃度を読み取り、少しずつ軌道を修正する。この単純だが膨大な「情報の重ね書き」こそが、強靭なインフラを作り上げている。
この視点を現代のオフィス環境にスライドさせてみよう。我々にとってのフェロモンとは、SlackやMicrosoft Teamsに残される「ログ」そのものではないだろうか。 しかし、我々のフェロモン運用は、アリに比べてあまりに非効率的だ。多くのチャットルームで見られるのは、有益な環境情報ではなく、「お疲れ様です」「承知いたしました」といった、実質的な意味を持たない「儀礼的なノイズ」ばかりだ。 あるいは、「空気を読む」ことにリソースを割きすぎて、肝心な事実情報が埋もれてしまってはいないだろうか。
失敗情報は「宝」である
さらに著者が指摘するアリのシステムの優れた点は、「ネガティブ・フィードバック(負の情報の蓄積)」にある。 アリの道作りにおいて、餌にたどり着けなかったアリが戻ってくる道は、フェロモンが強化されず、やがて蒸発して消える。つまり「失敗したルート」が消去法的に明らかになることで、正解のルートが浮き彫りになるのだ。 失敗は隠されるべき恥ではなく、システムを最適化するための貴重なデータとして扱われる。
ひるがえって人間社会はどうだろう。我々は失敗を隠す傾向がある。「うまくいかなかった」という報告は、評価を気にしてSlackのDM(ダイレクトメッセージ)や給湯室の陰口でこっそりと行われ、オープンなチャンネルには「成功報告」や「綺麗な進捗」ばかりが並ぶ。 これでは、組織の地図はいつまで経っても完成しない。「行き止まり」の情報が共有されないため、後続の人間がまた同じ行き止まりに突っ込み、同じ時間を浪費することになるからだ。
ログを刻むための「最強の筆」
もし「自走する組織」を目指すのであれば、救世主のようなリーダーを待つ必要はない。必要なのは、天才的な指示ではなく、凡人たちが残す「ログの質」を変えることだ。 定型的な挨拶やマナーに執着するのをやめ、事実としての「成功」と、それ以上に重要な「失敗」の情報を、淡々と環境(チャットツール)に刻んでいく。 そのためには、ストレスなく思考を文字化できる道具が必要だ。私が愛用しているのは、プログラマーやライターに絶大な支持を受ける『HHKB(Happy Hacking Keyboard)』だ。
静電容量無接点方式の極上の打鍵感は、一度触れば病みつきになる。指が吸い付くような感覚で、脳内の思考がそのまま画面に転送されるような錯覚を覚えるほどだ。 「入力が気持ちいい」というだけで、ログを残す億劫さは消え去る。 あなたの指先から放たれるログが、組織という巨大な群れを導くフェロモンになる。リーダーになろうとするな。ただ、良質なログを残す「最初のアリ」になればいいのだ。