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「エコ」の正体は、史上最大の環境破壊である。銅を喰らう脱炭素の闇【『Material World』3/3】

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「エコ」の裏側にある「物質世界」の矛盾とは

私たちの日常を支えるスマートフォンや電気自動車、そして再生可能エネルギー技術。これらはすべて「エコ」な未来への希望を象徴しているように思えるでしょう。しかし、その「エコ」を実現するために、地球上ではどれほどの資源が消費され、環境が犠牲になっているのかを考えたことはあるでしょうか。

『Material World』著者で経済・データジャーナリスト・Sky Newsエディターのエド・コンウェイは、現代社会を支える「物質」の知られざる旅路をたどることで、この問いに深く切り込んでいるのです。同氏は、一見すると「脱物質化」が進んでいるように見える情報化社会が、実際にはこれまで以上に膨大な量の物質に依存していることを明らかにし、特に脱炭素化の取り組みが、新たな資源採掘ラッシュとその環境破壊を引き起こしているという衝撃的な真実を突きつけます。本稿では、銅の採掘を例に、その「脱炭素の闇」の一端を紹介します。

電気自動車と「銅」の飽くなき需要

脱炭素社会の象徴である電気自動車(EV)は、その駆動のために大量の銅を必要とします。同著によると、電気自動車1台に必要な銅の量は、従来のガソリン車と比較して3〜4倍に上るとされています。その半分はモーターに、残りは配線ハーネスやバッテリーに使われているのです。さらに、バスのような大型バッテリー駆動車では、1台で約0.5トンもの銅がモーターと回路、そして大電流を流すバスバーに使われます。

この銅の需要は、EVだけに留まりません。地球温暖化対策の切り札とされる風力発電や太陽光発電もまた、大量の銅を消費するのです。太陽光パネルは従来の発電所の約7倍、洋上風力発電は従来の発電所の約10倍の銅を必要とすると言われています。この事実が示唆するのは、脱炭素社会への移行が、新たな資源採掘ラッシュを誘発し、これまで以上に多くの地球の物質を掘り起こす必要があるということです。

銅山が町を食らう環境破壊の実態

こうした膨大な銅の需要を満たすため、世界各地の銅山では驚くべき規模の採掘活動が行われています。チリのアタカマ砂漠に位置するチュキカマタ銅山は、その象徴的な存在です。ニューヨークのセントラルパークよりも長く広いこの巨大な穴は、地球上からこれまでに掘り出された土砂の量で言えば、ドバイのブルジュ・ハリファを沈めても完全に飲み込んでしまうほど深く、世界でも類を見ない規模です。

チュキカマタ鉱山は、まさに「町を食らう」鉱山でした。採掘が進むにつれて、鉱山から出る大量の廃棄岩や瓦礫が、かつて鉱山労働者たちが暮らしたチュキカマタの町を侵食し始め、毒性ガスが漂うようになりました。その結果、約20,000人もの住民が移転を余儀なくされ、町はゴーストタウンと化したのです。また、銅の精錬過程で発生する廃棄物(尾鉱)は、マンハッタンほどの面積を持つタラブレと呼ばれるダムに堆積されており、ヒ素やニッケル、鉛などの重金属による環境汚染や健康被害も懸念されています。

コンゴ民主共和国(DRC)もまた、銅やコバルトなどの豊富な鉱物資源を持つ国ですが、その採掘現場は劣悪な環境で知られています。同著では、家族連れを含む多くの人々が手作業で鉱石を採掘しており、適切な安全設備や医療サービスがないために、頻繁に事故や怪我が発生していることが指摘されています。これらの地域で繰り広げられる環境破壊や人権侵害は、私たちの「エコ」な生活の裏側にある深刻な問題なのです。

2050年ネットゼロ達成への困難な道のり

同著は、脱炭素社会への移行が、いかに物質的な課題を伴うかを明確に示しています。2050年までに「ネットゼロ」排出を達成するという世界的な目標を掲げる一方で、必要な銅の供給量は現在の生産量を大幅に上回ると予測されています。ある試算では、今後22年間で、人類が過去5,000年間に採掘した銅の総量よりも多くの銅を採掘する必要があるとも言われています。これは、毎年チュキカマタのような巨大な銅山を3つも開発するのに匹敵する規模です。

しかし、銅の採掘は年々困難になっています。埋蔵量の減少に加え、環境負荷への懸念から、チリやペルーなどの主要生産国では採掘制限の動きが出てきています。これは、世界の銅供給に大きな影響を与えかねない問題です。私たちは、化石燃料への依存から脱却しようとする一方で、新たな資源への依存という「トレードオフ」に直面しているのです。

善意の選択が問いかける「トレードオフ」

私たちが「エコ」な選択をする時、それが別の形で地球に負荷をかけているという事実に目を向けることは少ないでしょう。電気自動車を選び、太陽光発電を支持する善意の行動が、遠く離れた場所で新たな採掘ラッシュや環境破壊、そして時には人権問題を引き起こしている可能性を、私たちは直視しなければなりません。このジレンマこそが、エド・コンウェイが『Material World』を通じて私たちに投げかける本質的な問いかけなのです。

私たちは、資源の有限性や採掘に伴う環境的・社会的なコストを理解し、より持続可能な社会を構築するための「トレードオフ」について深く考える必要があります。安易な理想論ではなく、現実の「物質世界」がどのように機能しているのかを理解することが、真に持続可能な未来への第一歩となるはずです。

この地球が直面するエネルギーと資源の課題について、より深い洞察を得たい方には、その思考をさらに広げるための一冊として、『新しい世界の資源地図――エネルギー・気候変動・国家の衝突』(ダニエル・ヤーギン著)を手に取ってみてはどうだろうか。エネルギーと気候変動が世界の政治・経済地図をどのように塗り替えているかについて、新たな視点と知見を提供してくれるはずだ。

Kの視点

記事は銅を中心に「脱炭素の矛盾」を丁寧に描いているが、原書が本当に問いかけているのはもう一段深い問題だ。コンウェイは序章で「2019年単年に掘り出した資源の総量が、人類史の夜明けから1950年までの累積採掘量を上回る」という数字を示す。しかも彼はそれが「例外的な年」でないことも明記している——2012年以降、毎年同じことが言えると。記事が描く銅の需要急増はこの巨大な文脈の一断面に過ぎず、問題の構造はさらに広い。

著者の主張で見落とされがちな点がある。コンウェイはEVや再生可能エネルギーを批判したいのではない。彼が解剖しているのは「脱物質化が進んでいる」という先進国の自己欺瞞だ。原書では、米英のGDP統計上は資源消費が減少しているように見えるが、それは採掘を輸入品の形で他国にアウトソースしているだけだと論じる。日本も同様で、国内の環境負荷は抑制されているように見えながら、コンゴや南米の採掘現場を間接的に支える側にいる。「エコ消費者」という自己イメージと、サプライチェーンの末端で起きていることの落差は、日本市場でこそ直視する必要がある。

記事末尾でヤーギンの『資源地図』が紹介されているが、両書の問題意識はむしろ対照的だ。ヤーギンが地政学的パワーゲームとしてエネルギーを論じるのに対し、コンウェイは「物質そのものの重力」を問う。脱炭素後の世界で誰が覇権を握るかではなく、そもそも私たちは採掘という行為から逃れられるのかを問う——それがこの本の、より根の深い問いかけだ。 — K

『Material World』シリーズ(全3回)

ドバイが砂漠で「砂」を買う理由。スマホもAIも「砂の城」に過ぎない【『Material World』1/3】
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