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人生を未来のために先送りしていないか【『不完全主義』6/6】

kotukatu
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いつか本当の人生が始まると信じていないか

仕事が落ち着いて十分な貯金ができたら、あの趣味を本格的に始めよう。子供が手を離れて自分の時間が持てるようになったら、パートナーとゆっくり旅行に行こう。私たちは常に、今の慌ただしい日常はあくまで一時的なものであり、いつかすべての条件が完璧に整った暁には、本番の素晴らしい人生が幕を開けるはずだと固く信じている。

こうして私たちは、豊かな未来を手に入れようと焦るあまり、今日という一日を単なる未来への投資期間として扱ってしまっているのだ。しかし、このいつかすべてが片付いた状態を待ち続ける生き方は、私たちから取り返しのつかないものを奪っていく。なぜなら、私たちが待ち望んでいるその完璧な未来は、いつまで経っても絶対にやってこないからだ。

未来の自分を過剰に思いやるという病理

オリバー・バークマンは著書『不完全主義』の締めくくりとして、未来の自分のために現在の自分を犠牲にしすぎるという現代人の病理を鋭く指摘している。私たちは、有限である人生の不確実性が恐ろしくてたまらない。だからこそ、未来の安全を少しでも確実なものにするために、今の楽しみや安らぎを切り詰め、過剰なまでに準備と計画にエネルギーを注ぎ込んでしまうのである。

しかし、そうやって未来をコントロールしようと必死になっている間に、唯一確実に存在している今この瞬間は、指の間から砂のように滑り落ちていく。同氏が引用する心理学者の言葉によれば、これは仮の人生を生きている状態である。いつか本番が来るというファンタジーにしがみつき、時間と空間の中に完全に足を踏み入れることを拒絶し続けている限り、私たちは永遠に自分の人生を生きることはできないのだ。

人生という時間は決して貯蓄できない

私たちが直視すべき最も残酷で、かつ最も美しい真実は、人生という体験は決して貯蓄できないということである。今日の美しい夕焼けを見る時間を節約して、老後の楽しみに取っておくことなど物理的に不可能だ。素晴らしい景色や、家族との何気ない会話、仕事での小さな達成感。それらはすべて、発生したその瞬間に味わい尽くさなければ、永遠に失われてしまう性質のものなのである。

私たちは、経験を所有物のようにかき集め、未来の目的のために利用しようとする態度を手放さなければならない。すべてが完璧に整った状態など来ないのだから、不完全で慌ただしい今の現実のど真ん中で、喜びや意味を見出すしか道はないのである。準備をやめ、今日という日をリハーサルではなく、一回きりの本番として生き直すこと。それこそが、有限な人間にとっての究極の生存戦略なのだ。

準備をやめて今日という本番を生きられるか

冒頭の問いに戻ろう。あなたが未来のために先送りしているその喜びは、本当にいつか回収できる保証があるのだろうか。私たちが後悔のない人生を送るためには、いつか本当の人生が始まるという危険な幻想を完全に打ち砕き、どれほど不完全であっても、今ここにある現実の中にどっぷりと浸かるマインドセットが不可欠である。

今この瞬間の価値を再発見するための最高の指針として、セネカによる古典的名著『生の短さについて』は、二千年を経ても色褪せない真実を突きつけてくれる。多忙を言い訳にして人生を先送りする人間の愚かさを看破し、今を生き切ることの重要性を説いた一冊だ。自分はいつまで人生の準備期間を続けるつもりなのか。その静かな問いを持ったまま、今日の仕事に戻ってみてほしい。

『不完全主義』シリーズ (全6回)

いつかすべて片付くという幻想【『不完全主義』1/6】
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完璧なシステムという現実逃避【『不完全主義』2/6】
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選択の代償から逃げていないか【『不完全主義』3/6】
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生産性という名の借金を抱えていないか【『不完全主義』4/6】
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完璧な自分を演じることに疲れていないか【『不完全主義』5/6】
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