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日本の高度成長は「ベトナム戦争の空き箱」から始まった【『コンテナ物語』4/4】

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サイゴンの悪夢とケチャップの山

1965年、アメリカ軍はベトナムで二つの敵と戦っていた。一つは北ベトナム軍、もう一つは「物流の崩壊」だ。兵士は増え続けるが、補給物資が届かない。サイゴン港は麻痺状態で、船は荷下ろしのために2ヶ月も沖で待たされ、その間に食料は腐り、物資の半分は盗まれた。

諸悪の根源は、軍の「プッシュ型(押し込み方式)」の補給システムにあった。現場の注文を待たず、本部が計画に基づいて自動的に物資を送り続ける仕組みだ。そのせいで、熱帯の戦場には誰も欲しがらない大量の防寒具や、一生かかっても使い切れないほどのケチャップが山のように届き、港の混乱に拍車をかけていたのだ。 「世界最強の軍隊が、在庫の山の中で立ち往生している」。この屈辱的な状況に、例のトラック野郎、マルコム・マクレーンが目をつけた。彼は国防総省に乗り込み、こう言った。「俺に任せろ。コンテナなら解決できる」。

泥沼の戦争が「コンテナ」を証明した

マクレーンは、ベトナムのカムラン湾に自前のクレーンとトラックを持ち込み、何もない砂浜を数ヶ月で最新鋭のコンテナターミナルに変えてしまった。マルク・レビンソンが『コンテナ物語』で記すその結果は劇的だった。

従来の船なら荷役にかかる日数は数週間。コンテナ船なら数時間だ。盗難も激減した。頑丈な鉄の扉をこじ開けて盗むのは、網に入った荷物をくすねるより遥かに難しいからだ。皮肉なことに、コンテナ輸送の有効性を世界に証明したのは、平和な商取引ではなく、泥沼の「戦争」だったのだ。

空っぽの箱は「日本」経由で

物語の白眉はここからだ。ベトナムへ大量の軍需物資を運んだコンテナ船は、帰りは空っぽでアメリカへ戻るしかない。普通なら諦めるが、根っからの商人であるマクレーンは、この「空気を運ぶコスト」が許せなかった。そこで彼は地図を見て、ひらめいた。「帰り道に日本があるじゃないか」。

当時、高度経済成長の只中にあった日本は、アメリカへの輸出に飢えていた。マクレーンは日本のメーカーに声をかけた。「帰りの船はガラガラだ。あんたたちのテレビやステレオを、格安で運んでやるよ」。こうして、軍需物資を運んだ後の「空き箱」に、ソニーのトランジスタラジオやパナソニックの家電が詰め込まれ、アメリカ市場へ雪崩れ込んだ。日本の輸出ブームと、それに続くアジアの奇跡は、実はベトナム戦争の「帰り便」をちゃっかり利用した、マクレーンの商魂から始まったのだ。

混沌を生き抜く「タフな道具」

マクレーンの凄みは、戦争という悲劇を前にしても感情的にならず、あくまで「ビジネスの機会」として冷徹に計算した点にある。トラブルや混乱に直面した時、ただ嘆くのは素人だ。プロならば、その混乱をどう利用すれば利益が出るか、したたかに計算する。

そんなマクレーンのような「現場主義」の人間にこそ持っていてほしいのが、ソニーのポータブルラジオ『SRF-R356』だ。かつてコンテナに乗って世界を席巻したソニーのDNAを受け継ぐこのラジオは、スマホが繋がらない災害時や電波の悪い場所でも、確実に情報を届けてくれる。余計な機能はない。あるのは「聞く」という一点突破の性能だけだ。混沌とした時代には、コンテナのように単純で頑丈な道具だけが生き残る。

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