レビュー・紹介

消えた「オイルレベルゲージ」の謎

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ボンネットの下の「パターナリズム」

マシュー・クロフォード著『手仕事の復権(Shop Class as Soulcraft)』は、ある不吉な兆候の指摘から始まる。 それは、最近のメルセデス・ベンツのエンジンの話だ。 かつて、車のボンネットを開ければ、そこには機械の鼓動があった。そして、オイルの量を確認するための黄色いリング、「レベルゲージ(ディップスティック)」が必ず存在した。

だが、今の高級車からそれが消えているのをご存知だろうか。 代わりにどうするか? ダッシュボードのスクリーンに「Service Required(要点検)」という無機質な文字が表示されるのを待つのだ。

著者はこれを、単なる利便性の向上とは見ない。 これはメーカーによる「パターナリズム(父権的温情主義)」の発露だ。 「お客様は難しいことを考えなくていい。我々が全て管理してあげるから、ただ金を払って乗っていればいい」。 そこにあるのは、ユーザーを対等な機械の管理者としてではなく、保護すべき「無知な子供」として扱う、傲慢な親切心である。

「便利」という名の檻

ボンネットを開けても、そこにあるのはプラスチックのカバーだけ。 家電製品のネジは特殊な形状をしており、普通のドライバーでは開けられない。 現代のエンジニアリング文化は、「仕組みを隠すこと」に執心している。

彼らは言う。「お客様の手を煩わせたくないのです」。 もちろん、これには二つの側面がある。 一つは、修理やメンテナンスを自社工場に囲い込むための、ちゃっかりした収益化戦略。 そしてもう一つは、「素人が中途半端に手を出して、状況をこれ以上悪化させないようにする」という、彼らなりの善意(リスク管理)だ。 最近の車は高度に電子制御されている。生半可な知識で触れば、命に関わる事故につながりかねない。彼らの言い分も、理屈としては正しい。

だが、待ってほしい。 我々は自動車教習所で、ボンネットを開けてオイルレベルをチェックするぐらいは習ったはずだ。 自動車免許を持っているということは、最低限の運行前点検ができる知識と責任を有しているという証明ではなかったか? 「あなたは免許を持っているが、信用はしていない」。 となると、レベルゲージの廃止が突きつけているのは、そういう無言のメッセージだ。

知的な「手」を取り戻す

我々から「自分で直す権利」を奪い、メーカーのサポートなしでは立ち行かないようにすること。 これこそが、我々が安住している「便利」という名のオリの正体なのだ。

著者は、政治哲学の博士号を持ちながら、シンクタンクの高給職を捨ててバイク修理工になった異色の経歴を持つ。 彼は、抽象的なデータばかりをこねくり回すオフィスワークよりも、目の前の壊れたバイクを直すことの方が、よほど「知的」で「精神衛生に良い」と説く。

自分の手でオイルレベルを測る。 それは些細なことかもしれない。だが、ブラックボックス化する世界において、自分の持ち物の「中身」を理解し、管理しようとする態度は、一種のレジスタンス(抵抗運動)だ。 「便利さ」と引き換えに「主体性」を売り渡してはならない。 我々には、自分の人生の操縦桿(そしてオイルゲージ)を握る権利があるのだから。

今日のコツ:隠されたネジを探す

身の回りのモノを観察してみよう。スマホ、トースター、自転車そしてあなたの愛車。 それらは「開けられる」ようになっているだろうか? もし開けられないなら、それはあなたの所有物ではない。メーカーからの「貸与品」だと思ったほうがいい。 まずは、その事実に気づくことから始めよう。そして、もし可能なら、保証が切れた瞬間にドライバーを握りしめ、そのブラックボックスをこじ開けてみるのも悪くない。そこには「現実」が詰まっている。

ただし、一つだけ忠告がある。上記の「事実」を認めたうえで、真の知性は、自分の「無知」に対しても誠実だ。 ブレーキや高電圧部など、命に関わるブラックボックスを、電気の知識もないのに好奇心だけで開けるのは「勇気」ではない。それは単なる「蛮勇」であり、ダーウィン賞(愚かな死に方をした人に贈られる賞)への最短ルートだ。 自分でやるか、プロに任せるか。その境界線を見極めることこそが、最も高度な知性であることを忘れないでほしい。

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