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マグロはなぜ絶滅の危機に瀕しているのか【『スシエコノミー』4/6】

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私たちが食べる寿司の裏側で、海の資源は何を語っているか

私たちが普段何気なく口にするマグロの寿司は、遠く離れた海でどのようなドラマを生み出し、地球の裏側でどんなビジネスを動かしているのか、深く考えさせられる。食の選択が地球規模の環境問題と密接に結びついている現代において、この問いは無視できないテーマとなっている。『スシエコノミー』著者でジャーナリストのサーシャ・アイゼンバーグ氏は、日本の寿司文化が世界の海洋資源に与える影響、特にクロマグロを巡る漁業の現状と不透明な実態に深く切り込んでいる。本書では、一貫のマグロが私たちの食卓に届くまでの、グローバルで複雑なサプライチェーンが描かれている。それは単なる魚の物語ではなく、人間の欲望、経済活動、そして国際政治の縮図そのものだと言えるだろう。

マサチューセッツ州グロスター、老舗漁港の生存競争

米国マサチューセッツ州にあるグロスターは、古くから漁業で栄えてきた港町である。しかし、近代の漁業は、伝統的な漁師たちの生活を大きく揺るがしている。かつては豊富だった大西洋クロマグロの資源も、度重なる乱獲と環境の変化により激減した。サーシャ・アイゼンバーグ氏は、グロスターのマグロ漁師たちが、厳しくなる漁獲規制と競争の激化の中で、いかにして生計を立て、伝統を守ろうとしているかを鮮やかに描いている。彼らは獲れる魚が減り、経済的に苦しい状況に追い込まれながらも、時には危険を冒して大海原へと繰り出す。マグロ漁はもはや単なる生業ではなく、彼らのアイデンティティそのものとなっているのだ。彼らの姿は、世界中の漁師が直面している困難を象徴している。

寿司ブームが招いたクロマグロの危機

大西洋クロマグロの個体数が危機的な状況に陥った背景には、日本の寿司文化の世界的な広がりがある。『スシエコノミー』では、特に1970年代以降、日本の経済成長とともに寿司が国民食として定着し、さらに世界中で人気を博したことで、マグロの需要が爆発的に増加したと指摘する。脂の乗ったクロマグロのトロは特に珍重され、その価値は高騰した。この需要の増加が、世界各地でのマグロ漁を加熱させ、規制の甘い地域や国際水域での乱獲を誘発したのである。巨大な漁船が最新技術を駆使してマグロを追い、結果として資源は急速に枯渇していった。美味を追求する人間の欲望が、種の存続を脅かす事態へと繋がったのだ。

闇に蠢くマグロのロンダリングと国際漁業政策の限界

高値で取引されるマグロは、密漁業者にとって魅力的な獲物となる。同著では、特に地中海を拠点としたマグロの「闇市場」の実態が詳しく述べられている。特定の地域では、密漁されたマグロが正規のルートに「ロンダリング」され、合法的に流通しているように見せかけられるケースが横行しているという。違法に獲られたマグロは、規制の目をかいくぐり、養殖マグロとして偽装されたり、書類を偽造されたりして、最終的に世界中の消費者の食卓へと辿り着く。これは、国際的な資源管理の枠組みが機能不全に陥っていることを如実に示している。

この資源管理の主要な機関の一つが、ICCAT(大西洋まぐろ類保存国際委員会)である。ICCATは、大西洋におけるマグロ類の資源保存と管理を目的として設立された国際機関だが、同著によるとその機能は著しく低下している。各国の利害関係が複雑に絡み合い、漁獲枠の決定や違法漁業への取り締まりが十分に機能しない。科学的なデータに基づいた資源管理が求められる一方で、政治的な駆け引きが優先され、効果的な対策が打ち出せない現実が浮き彫りになる。このような国際漁業政策の限界が、結果としてマグロ資源の回復をさらに困難にしていると言えるだろう。

食の選択が未来の海を決める

私たちが寿司を食べるたびに、世界の海で何かが起きている。それはマグロという一つの魚種を巡る問題に留まらず、地球全体の海洋生態系、そして持続可能な社会のあり方へと繋がる壮大なテーマである。『スシエコノミー』は、私たちが日々の食卓で下す選択が、遠く離れた海の環境や人々の生活にどのような影響を与えるのかを深く考えさせる一冊だ。食の背景にある経済、環境、倫理を理解することは、持続可能な未来を築く上で不可欠な視点となるだろう。

そうした食の倫理や環境への影響について、さらに深く考察したいと考えるならば、『雑食動物のジレンマ 上 産業社会の穀物と工業型農業』(マイケル・ポーラン著)を手に取ってみてはどうだろうか。この一冊は、私たちが口にする食べ物がどこから来て、どのように作られているのかを、農場から食卓までの旅を通じて徹底的に解き明かす。食と環境の密接な関係性を理解し、より意識的な食の選択をするための豊かな視点を与えてくれるはずだ。

Kの視点

記事本文はICCATの機能不全と「闇市場」のロンダリングを中心に描いているが、原書の構成を見ると、著者アイゼンバーグが問題の核心として据えているのはむしろ「情報の非対称性」そのものだ。原書が繰り返し強調するのは、「誰も魚の全情報を持っていない」という前提のもとで成立している相互信頼のネットワークであり、その信頼の薄い部分こそが密漁と偽装の温床になるという論理構造になっている。記事が描く「悪意ある業者の暗躍」という図式は正確だが、著者の問題意識はより根本的で、合法・違法の境界線自体が情報格差によって流動的に引かれているという点にある。

また本文ではグロスターの漁師を「伝統を守る者」として同情的に描くが、原書の文脈ではやや異なる。大西洋クロマグロはそもそも地元漁師にとって「厄介者」であり、JALの岡崎昭らが需要を創り出す以前は埋めて捨てていた魚だ。資源危機は「伝統漁業の破壊」ではなく、1970年代に突然付与された経済価値がもたらした結果である。つまり「寿司ブームが招いた危機」という記事の見立ては正しいが、グロスターの漁師もその価値創造の受益者であった事実は省かれている。被害者と受益者が同一人物であるというこの皮肉こそ、著者が最も伝えたい構造的緊張だろう。 — K

『スシエコノミー』シリーズ(全6回)

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オーストラリアのカウボーイはマグロを養殖した【『スシエコノミー』5/6】
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中国が寿司の未来を決める【『スシエコノミー』6/6】
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