東京で行列ができる店を作るまで【『アイバンのラーメン』4/6】
東京で外国人シェフがラーメン店を成功させることは果たして可能か
外国人シェフが東京でラーメン店を成功させることは容易なことだろうか。それは、異文化の中で自身の「弱み」を「強み」へと変える逆張り思考がなければ、きわめて困難な挑戦であろう。『アイバンのラーメン』著者でシェフ・レストランオーナーのアイバン・オーキンは、まさにこの困難な道を切り拓いた一人である。ニューヨーク出身のユダヤ系アメリカ人である同氏が、東京のラーメン業界に飛び込み、数々の常識を覆しながら成功を収めるまでの道のりは、単なる料理の物語にとどまらない。同氏は、いかにして異国の地で独自のブランドを確立し、地元の人々に受け入れられるに至ったのだろうか。
立ちはだかる開店までの壁
同氏は2007年6月、東京・世田谷に「アイバン・ラーメン」をオープンした。同氏の妻マリエはラーメン店開業のアイデアを強く推したが、同氏自身は当初「東京の真ん中でアメリカ人がラーメンを作るのは、当て物師の芸のようなもので、実現可能な計画とは思えなかった」と振り返っている。それでも、マリエの説得を受け、ラーメンへの情熱を追求することを決意した。
店舗探しも一筋縄ではいかなかった。ラーメン店は「汚く、臭く、信頼できないオーナーがすぐに消えてしまう」という評判から、不動産エージェントや物件オーナーは外国人に店を貸すことに難色を示した。最終的には義母の風水の助言と、たまたま出店を考えていた既存のラーメン店のオーナーとの出会いがあり、ある程度の金額でその店舗の権利と設備を購入することで合意した。しかし、実際の引き渡し時には、約束されていた調理器具などがすべて撤去されており、同氏はがらんとした空っぽの空間からのスタートとなった。
開店準備中には、同氏自身が予期せぬアクシデントに見舞われ、開店準備は困難を極めた。しかし、妻マリエは著名なインテリアスタイリストであり、義弟もセットデザイナー兼大工だったため、彼らの協力を得て、現代的でありながらもラーメン店らしさを残した、明るい店を作り上げていった。座席は回転率を重視する一般的なラーメン店とは異なり、あえて座り心地の良い椅子を選び、顧客がくつろげる空間を目指した。
閑古鳥からの逆転劇とメディア戦略
2007年6月2日の開店直後、店は閑古鳥が鳴く状態であった。当初は1日にごくわずかな客しか来なかったという。日本人客の多くは「外国人が作るラーメン」に対して懐疑的な目を向け、敬遠する傾向があったためである。同氏は、来店客の「アイバン・ラーメンはひどいに違いないと思っていたが、こんなに本格的でおいしいラーメンを食べられて驚きと感動でいっぱいだ」といったブログの投稿を目にするたびに、その偏見を痛感した。
そんな中、同氏の妻マリエは日本のラーメン評論家である大崎氏に、ある情報提供を行った。開店して間もない頃、大崎氏はアイバン・ラーメンを訪れ、同氏の提供した塩ラーメンを絶賛するブログ記事を公開した。これが転機となり、アイバン・ラーメンは一躍注目を集める。大崎氏のブログ掲載後、来店客数は増加し、他のラーメンブログにも取り上げられるようになった。
その後、人気テレビ番組に出演。同氏の生い立ちや店が紹介され、ラーメンは絶賛された。このテレビ放送がきっかけで、翌日には開店前から多くの行列ができるようになり、台風の中でも客が並ぶほどの人気店へと変貌した。さらに、著名なラーメン職人が登場する番組にも出演し、その静かなる称賛は、同氏を東京のトップラーメン職人の一人へと押し上げた。
「日本人より日本的なラーメン」が築いたブランド
同氏が成功を収めた背景には、ラーメンという料理が持つ「開放性」があったと指摘する。寿司や蕎麦、懐石料理といった伝統的な日本料理が厳格な作法と準備期間を要するのに対し、ラーメンは比較的歴史が浅く、創造性や実験を受け入れる余地が大きい。同氏は、この自由な土壌で、自身のルーツと日本の職人技を融合させた独自のラーメンを生み出した。
同氏のラーメンは、既成概念に囚われず、自らの味覚と探求心に基づいて開発された。例えば、麺はほとんどのラーメン店が既製品を使う中、自家製にこだわり、ライ麦粉を配合した香り高い麺を追求した。また、スープのうま味を引き出すために、鶏脂(シュマルツ)を巧みに使用。これはユダヤ系の家庭で育った同氏のルーツを感じさせる、繊細な隠し味となっている。
ラーメン評論家の大崎氏は、同氏のラーメンについて「外国人がこんなにおいしいラーメンを作るのを見たことがなかった」「日本のラーメンの歴史が変わった」と評した。同氏のラーメンは、西洋の技法を取り入れつつも「本当に日本的」であると認識され、その高い品質と独創性が「外国人シェフが作るラーメン」という初期の珍しさから、確固たるブランド価値へと転換していったのである。
ニッチな市場での逆張り思考
同氏が東京で成功を収めた道のりは、ニッチな市場でのポジショニングと、弱みを強みに変える逆張り思考の重要性を示している。当初「奇妙な存在」と見られた外国人シェフという立場は、マスメディアからの注目を集めるフックとなり、ラーメンという伝統と革新が共存する分野で、彼自身のユニークな視点と料理人としてのスキルが存分に発揮された。
同氏の物語は、既成概念を打ち破り、自身の信念を貫くことの価値を教えてくれる。特に、異文化の壁に直面したとき、それを単なる障害としてではなく、独自の強みとして活用する視点は、現代のビジネスにおいても重要な示唆を与えるであろう。そうした逆張り思考をさらに深めたい方には、『ブルー・オーシャン戦略』(W・チャン・キム、レネ・モボルニュ著)を手に取ってみてはどうだろうか。競争のない新市場を自ら創り出すための思考法は、アイバン・オーキンが東京で実践した戦略と驚くほど重なるはずだ。
Kの視点
記事は「弱みを強みに変えた逆張り思考」と「ラーメンの開放性」を成功の二本柱として整理しているが、原書を読むと、もう一つの決定的な要素が浮かび上がる。それは妻マリエの戦略的な動きだ。オーキン自身は開店直後の閑散期に「gaijinが作るラーメンは所詮珍しいだけ」と思われることへの恐怖を抱えていたが、マリエはそのタイミングで匿名のタレコミをラーメン評論家・大崎氏に送った。記事では「妻マリエが情報提供を行った」と一文で済んでいるが、原書では明示されている——「Mari sent an anonymous tip」と。本人が自分で宣伝するのではなく、第三者の口から火をつけさせる。この設計は偶然ではなく、インテリアスタイリストとしてメディアとの付き合いに長けた妻の意図的な動きだったはずだ。
大崎氏の評価についても、原書では興味深い証言が残っている。大崎氏は初訪時、「外国人がおいしいラーメンを作るのを見たことがなかった」と懐疑的だったと認めた上で、最初に目を引いたのが「チャーシューを冷たいまま乗せず、事前に温めていた」という細部だったと語っている。つまり評価のトリガーは「外国人らしくない丁寧さ」という驚きであり、これは逆説的に、外国人への先入観がなければ同じ行為が特段注目されなかったことを意味する。差別的な期待水準の低さが、賞賛の落差を生んだという構造は、記事の「逆張り思考の成功」という読み方より、やや居心地の悪い含みを持っている。 — K