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なぜニューヨークでラーメンを売ることはこれほど難しいのか【『アイバンのラーメン』5/6】

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ニューヨークのラーメン事情に辛辣な「警告」

東京でラーメン界の寵児となった男が、故郷ニューヨークへ凱旋する。そんな華やかな響きとは裏腹に、その挑戦には多大な困難が待ち受けていたと語るのは、『アイバンのラーメン』著者でシェフ・レストランオーナーのアイバン・オーキンだ。同氏のラーメン店「アイバン・ラーメン」が東京で大成功を収めた後、ニューヨークへの出店を決意した際、彼が受け取ったのは辛辣な「警告」であったという。ニューヨークの著名なシェフであるデイビッド・チャン(Momofukuの創業者)は、オーキンに宛てた序文の中で、その困難を「白人にはラーメンが食べられない(White Men Can’t Eat Ramen)」という皮肉な言葉で表現している。

この言葉の真意は、アメリカにおけるラーメンの食べ方や文化的な理解のギャップに根ざしているとデイビッド・チャンは指摘する。同氏によると、たいていのアメリカ人、白人もそうでない人も、熱いラーメンが出てきても冷めるまで待ってから食べ始めるという。これは、ラーメンの麺がスープの中で調理され続けていることや、熱いうちに一気に啜ることで全ての味が一体となるという、ラーメン本来の楽しみ方を損なってしまう行動だ。アメリカでは麺を啜る音が失礼だと考えられるため、客は音を立てずに食べる。さらに、スープが麺の一部であることを理解せず、スープを飲まずに残す客も少なくないという。また、スープの塩辛さに不満を言う人もいれば、グルテンフリーが流行する以前から麺を残す人もいたとデイビッド・チャンは語る。こうした客の行動パターンは、東京で「こだわるラーメン」を追求してきた同氏にとって、大きな文化の壁として立ちはだかるのであった。

東京の「当たり前」がニューヨークでは通用しない

デイビッド・チャンは、東京とニューヨークのラーメン店の経済モデルの構造的な違いも浮き彫りにしている。東京では、小規模な店で、限られた客数に対応するモデルが成立し得る。しかしニューヨークでは、高額な家賃、食材コスト、そして人件費といった経済構造が異なるため、このモデルは機能しない。デイビッド・チャンは、客は比較的手軽なパスタには相応の金額を支払う一方で、複数の調理された具材を組み合わせた一杯のラーメンに対しては、その価格に難色を示す傾向がある、と指摘する。

また、ニューヨークでは「より早く料理を作る方法を見つけなければならない」とデイビッド・チャンは助言する。これは、ラーメンを冷めるまで待つ客層に対応するため、スープを熱くしすぎないといった、東京では考えられないような「妥協」を意味する可能性がある。さらに、東京のラーメン店では客が黙々と麺を啜る音が響くのに対し、ニューヨークでは客はスープを囲んで会話を楽しむことを求める。ラーメンと一緒に前菜やカクテルを提供すれば、食事の時間が長くなり、店の回転率は著しく低下する。このような顧客行動やビジネス環境の違いは、東京で細部までこだわり抜いたラーメンを提供してきた同氏にとって、自身の哲学と現実のギャップに直面することを意味した。

「妥協」か「哲学」か—揺れ動くオーナーシェフの葛藤

デイビッド・チャンの「妥協する準備をしろ」という言葉は、同氏にとって、自身のラーメン哲学の根幹を問うものであっただろう。同氏は東京でのラーメン作りにおいて、厳選された食材、自家製麺、そして緻密なスープの製法に至るまで、徹底した「こだわるラーメン」を追求してきた。ラーメンを熱いまま一気に啜り、麺とスープが織りなす一体感を味わうことこそが、ラーメンの本質だと考えていたのだ。

しかし、ニューヨークの市場では、客が熱すぎるスープを嫌い、ゆっくりと会話を楽しみながら食事をする。これは、ラーメンが「短時間で一気に食べるもの」という同氏の哲学とは相容れない。同氏は東京で店を開く際、一般的なラーメン店が客に長居させないためにあえて不快な椅子を使っていたにもかかわらず、自身の店では「サービスに重点を置きたかった」という理由から、快適な椅子を選んでいた。このエピソードは、彼の根底にある「顧客への配慮」と「質の高い体験の提供」という哲学を示している。ニューヨークでの挑戦でも、この哲学をどこまで守り、どこからを「妥協」とするか、その線引きに頭を悩ませたことは想像に難くない。彼は「自分はアメリカ人だが、ラーメンは本来あるべき形で食べるものとして好きになった。間違いなく自分のような人々が他にもいるはずだ」と述べ、自身のこだわりを信じる姿勢を示している。

文化の壁を越える挑戦のその先へ

同氏が、自身の故郷であるニューヨークで「gaijin(ガイジン、よそ者)」だと感じる逆説的な状況は、異文化での挑戦がもたらす複雑な現実を物語っている。同氏は、長年日本で生活し、日本的な思考や商慣習、細やかな気配りを身につけた。しかし、ニューヨークに帰ると、複雑な官僚主義や、日本とは異なるビジネス慣習、そして客の行動パターンに戸惑いを感じる。それは、単に料理を提供するだけでなく、文化そのものに適応し、自身の哲学を再構築する必要があることを意味する。彼は「日本は私の初恋であり、彼女を失望させてしまったという気持ちを拭い去ることができない」と、日本への深い愛着と、そこから離れることへの葛藤を明かす。

成功体験を別の市場に移植する際、何を変え、何を守るかは、事業の成否を分ける重要な問題である。同氏は、ニューヨークという新たな舞台で、自身のラーメン哲学をどこまで貫き、どこから市場の要求に合わせるかという難しい舵取りを迫られる。しかし、同氏は「ニューヨークのラーメンはまだ東京のレベルにはほど遠い」と断言し、自身のラーメンにはニューヨークでも通用する確かな価値があると信じている。この信念こそが、彼の挑戦を支える原動力なのだろう。

異文化での挑戦を読み解く一冊

同氏が東京で成功を収めたラーメンを、自身の故郷ニューヨークという全く異なる環境で展開する物語は、異文化での事業展開や、自身の「こだわり」をいかに維持し、変革していくかという普遍的な問いを私たちに投げかける。自身の信念と市場のニーズの間で揺れ動きながらも、新たな道を切り拓こうとする彼の姿は、多くのビジネスパーソンやクリエイターにとって示唆に富むものであろう。

そうした思考をさらに広げるための一冊として、食の世界の厳しい現実と、料理人の生き様を垣間見ることができる『キッチン・コンフィデンシャル』(アンソニー・ボーデイン著)を手に取ってみてはどうだろうか。ニューヨークのレストラン業界で生き抜くシェフの赤裸々な告白は、同氏の挑戦の背景にある「食」の過酷さと情熱をより深く理解する手助けとなるはずだ。

Kの視点

記事本文はデイビッド・チャンの「警告」をニューヨーク出店の文化的障壁として読み解いているが、原書でこの序文をそのまま読むと印象が少し変わる。チャンは「開店おめでとう、最悪の決断だ(congratulations on a terrible decision)」と書き出し、アドバイスというより悪意すら感じさせる軽口のトーンで全体を貫いている。「アメリカ人はラーメンを食べられない」論も、深刻な文化論ではなく、ラーメン業界の先輩が後輩をおちょくりながらエールを送る業界内ジョークに近い。記事が「文化の壁」として重く読んでいる箇所は、原書では笑いと本気が混在した軽快な文体で綴られている点に注意が必要だ。

より重要なのは、チャンが序文の末尾で触れている「ローワー・イースト・サイドでユダヤ人のチキンスープが百年以上の歴史を持つ地に、お前は店を構える」という一節だ。オーキンの「ラーメンをユダヤ的感性で作る」というアイデンティティと、出店地の文化的土壌が重なる点を指摘しており、これは単なる「異文化への適応」物語ではなく、複数の文化が地層のように重なった場所に意図的に根を張る戦略的選択として読める。記事が描く「葛藤するオーナーシェフ」像は、原書が示す確信犯的なオーキン像とは、かなり距離がある。 — K

『アイバンのラーメン』シリーズ(全6回)

ユダヤ人がなぜ東京でラーメン屋を開いたのか【『アイバンのラーメン』1/6】
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外国人が日本の職人世界に飛び込むとはどういうことか【『アイバンのラーメン』2/6】
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完璧な塩ラーメン一杯への執念【『アイバンのラーメン』3/6】
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東京で行列ができる店を作るまで【『アイバンのラーメン』4/6】
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食への情熱が国境を越えるとき【『アイバンのラーメン』6/6】
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