【シーズン1 第5話】力を入れるほど、続かなくなる|『エフォートレス思考』
著者:グレッグ・マキューン 著
書名:『エフォートレス思考』(2021)/原題 Effortless(2021)
出版社:かんき出版(原書 Currency)
結論:「苦しい道こそ正しい」という思い込みが人を消耗させる。燃え尽きは勲章ではない。「これは簡単にできないか」と問い、力を入れる場所を選び直す。楽は手抜きではなく、続く方を選ぶことだ。
こんな人に読んでほしい
- 「もっと頑張らないと」と力みすぎて、かえって続かない人
- 手を抜くこと、楽をすることに、罪悪感をおぼえる人
- 完璧に仕上げようとして、最初の一歩が踏み出せない人
おすすめ度(★★★★☆):楽を肯定する本だが「飾りは手放し、本筋にひと手間」と一線を引く。力みで疲れた人の肩をそっと下げてくれる一冊。
この記事の物語部分はフィクションです。登場人物・古書店・会話はすべて架空で、実在の人物・団体とは関係ありません。取り上げる書籍は実在しますが、作中の要約・解釈・批評は編集部による独自のもので、著者・出版社の見解を代弁するものではありません(正確な内容は原書でお確かめください)。それでは本書がもたらす「力を抜く=続く方を選ぶ」という本質を路地裏の古書店を舞台にした物語で味わってください。
手放したのに落ち着かない
月曜、コツ太は定例会議の資料づくりを初めてまるごと後輩に任せた。いつもなら半日かかる仕事だった。それなのに、手が空いたとたん、落ち着かなくなった。みんなが動いているのに、自分だけ手を止めている。コツ太は頼まれてもいない議事録の清書を始め、せっせと時間を埋めた。フォントや余白の体裁まで、必要以上に整えつづけた。気づけば、手放したはずの半日は別の飾り付けでまた埋まっていた。
そして木曜、その慌てて体裁を整えた書類で、初歩的な数字を取り違えた。楽をしないために増やした手間がかえってミスを生んだ。
その夜も気づけばコツ太はあの灯りの前に立っていた。
手をかけない茶
カウンターに着いたコツ太の前へ、浅い白磁の器がそっと置かれた。注がれた茶は淡い色で、湯気はほとんど立たない。香りだけが静かに流れてくる。
「今夜は白茶にした。摘んで、軽く乾かすだけの茶でね。手をかけないことがそのまま味になる」
コツ太はひとくち含んだ。驚くほど淡い。だが、舌の奥にほのかな甘みが長く残った。手をかけないほうがうまくいくこともある。力ずくで一日を埋めてきた今のコツ太には、その事実が少し苦しかった。
「手放したんです。前に言われたとおり、雑用をひとつ、後輩に頼んでみました」
「ほう。それで」
「それが、なんだか落ち着かなくて。手が空くと、なんというか申し訳なくて。結局、頼まれてもいない議事録を清書して、フォントだの余白だの、誰も見ない体裁ばかり、必死に整えていました。その挙句、肝心の数字を取り違えて」
先生は器を置き、コツ太をしばらく見た。それから、責めるふうもなく、ゆっくり言った。
「手放して空いた時間をわざわざ別の重しで埋め直したわけだ。君は楽になることが怖いんだね」
『エフォートレス思考』の出発点:燃え尽きは勲章ではない
先生は棚から一冊を抜いた。表紙には『エフォートレス思考』とあった。
「グレッグ・マキューンという、イギリス生まれの著者の本だ。エフォートレス。力みのない、楽な、努力を要しないという意味でね。この著者には前に、何をやるかを選ぶ『エッセンシャル思考』という本があった。これはその続きで、選んだ大事なことをどう楽にやるかの話だ」
「楽ですか。それ、なんだか後ろめたい言葉です」
「だろうね。著者はまさにそこから書きはじめている。冒頭に、ある男の話が出てくる。一流大学を出て、一流企業に入り、週に八十時間働いた男だ。出張ばかりで、役員会の最中に三度も席を立って吐いた。それでも彼は働きつづけた」
「すごいというか。それでも続けたんですか」
「続けた。だが著者はその姿をこう切って捨てる。燃え尽きは勲章ではない、と」
コツ太は器を持つ手を止めた。週に八十時間とまではいかない。けれど、手が空くのが怖くて仕事を埋めつづける自分の姿がその男にうっすら重なった。
「著者は問う。限界まで自分を追い込む代わりに、もっと楽な道を探したらどうなるのかと。多くの人はその問いを思いつきもしない。苦しい道こそ正しい道だと、頭から信じているからだ」
エフォートレス・インバージョン:これは簡単にできないか
「でも楽な道って、結局は手抜きじゃないですか。楽して出した成果なんて、たかが知れてる気がします」
先生はページの途中を指でなぞった。
「多くの人がそう思う。著者はそれをひとつの思い込みだと言う。楽な道は劣った道とは限らないとね」
「劣った道とは限らない」
「著者自身の話がある。長く使わずに置きっぱなしの古いプリンターを処分しようとして、面倒な手順をいくつも思い浮かべ、うんざりしていた。あるとき彼は自分にこう問うた。これは簡単にできないかと。ふと窓の外を見ると、建物の作業員がいた。外へ出て、ただ要りますかと声をかけた。相手はうなずいて、持っていった。二分で済んだそうだ」
コツ太は思わず笑った。
「ずいぶん極端ですね。日本の会社で、そう都合よくはいきませんよ」
「国も事情も違うさ。だが著者が言いたいのはそこではない。私たちが押しつぶされそうになるのは状況そのもののせいではないことが多い。頭の中で、勝手に話を難しくしているだけなのだと。これは簡単にできないか。その一言がこんがらがった思い込みをほどく」
先生は本を少し持ち上げた。
「君がミスをしたのは楽をしたからではない。楽になるのが怖くて、要りもしない体裁づくりを始め、わざわざ仕事を難しくしたからだ。順番が逆なんだよ」
コツ太は器を置いた。
「でも先生。その問い方は危なくないですか。これは簡単にできないか。そう自分に聞いたとき、本当に楽な近道なのか、それともただ面倒なことから逃げたいだけなのか。やっている本人には見分けがつかない気がします」
「鋭いね。そこがこの本のいちばん危ういところだ。著者は楽な道を選べと説く。だが、どの楽が正しい楽で、どの楽がただの逃げか。その線引きは最後まではっきりとは書かれていない。内側から見れば、二つはよく似ているからね」
「じゃあ、結局あてにならない」
「そうとも言えない。線引きの代わりに、こう考えるといい。手を抜いていいのは自分で勝手に足した飾りの部分だけだ。話の本筋、君にしか彫れない一点から逃げるのは楽ではなく、ただの手抜きだよ。著者も熟達そのものが楽になるとは言っていない。最初の一歩を自分で重くするな、と言っているだけでね」
コツ太は自分の抱えている仕事を頭の中で並べてみた。どれが本筋で、どれが自分で勝手に足した飾りなのか。すぐには見分けがつかなかった。
下手でいい勇気:ピクサーの「醜い赤子」
先生は別のページを開いた。
「この本には下手でいる勇気という章がある。著者はあのピクサーの話を引く。名作も最初のスケッチはどれも醜い。未熟で、不格好で、ぼろぼろだとね。だが、その醜い赤子を守ってやらなければ、後の傑作は一つも生まれない」
「最初から、上手くやろうとするなということですか」
「そういうことだ。著者はこう書いている。失敗なくして、熟達はないと。完璧に仕上げようとするほど、人は最初の一歩が踏み出せなくなる」
コツ太は木曜のミスを思い出した。誰にも頼まれていないのに、資料の体裁ばかりを完璧に整えようとして、肝心の数字を取り違えた。
「僕は体裁という飾りに力んで、肝心の数字から目を離していました。完璧にしようとして、かえって動けなくなっていたんだ」
「そうだ。力を抜くのはサボることではない。完璧主義という重しを捨てて、最初の一歩のハードルを下げることだよ」
手が空くのが苦手だった
先生は湯をつぎ足しながら、棚の一角に目をやった。
「私もね、手が空く時間がずっと苦手だった。少しでも暇ができると、何か仕事を探した。じっとしていることが怠けに思えてね」
「さっきの僕と同じですね」
「同じだよ。だが、忙しなく動くほど、肝心なところでしくじった。校正に根を詰めすぎて、いちばん大きな見落としをやる。そういうことが何度もあった」
先生は器のふちを指でなでた。
「ある時から、すべての文字を血眼で追うのをやめた。重箱の隅をつつくような体裁の確認は手放して、肝心の話の筋が通っているかどうかにだけ目を配るようにした。力を抜く方がかえって本筋の質が上がる。それを認めるのに、ずいぶんかかったよ」
それは自慢にも説教にも聞こえなかった。長く力みつづけた人の声だった。
負荷をうんと下げた
コツ太もつられて口を開いた。
「運動で、似たことがあって。前に体を鍛えようとした時、毎日きつい負荷でやってたんです。気合いを入れて。でも二週間で続かなくなって」
「ほう」
「それで、もういいやと、負荷をうんと下げたんです。物足りないくらいに。そうしたら逆に、歯磨きみたいに、ただ続くようになって。きつくしていた頃より、よっぽど調子がいいんです」
「身体は正直だね。続く方をちゃんと知っている」
「なのに、仕事だと逆をやってました。手が空くのが申し訳なくて、余計な作業を増やして、力んで、ミスして。運動では分かってたことが仕事だと全然できてなかったんです」
コツ太が苦笑すると、先生も小さく笑った。淡い白茶が二人の湯呑みで、静かに冷めていった。
帰り道でひとつだけ力を抜いた
店を出ると、夜気がやわらかかった。来た道をたどって駅へ向かいながら、コツ太はひとつだけ決めていた。明日からは手が空いても慌てて埋めない。空いた時間を選んだ企画にそっと戻す。力を入れる場所を自分で選んでみよう。
肩のあたりが来たときより軽かった。力を抜いていい。そう自分に許すだけで、息がしやすくなる気がした。
ただ、駅のホームで電車を待ちながら、コツ太はふと隣で颯爽と仕事をこなす同期のことを思い出した。あいつは楽になんてしていない。自分だけ力を抜いて、置いていかれないだろうか。
力を抜くことは許せた。けれど、楽になった自分をつい誰かと比べてしまう。あの物差しはまだ手の中にある。コツ太はまた、あの灯りを訪ねる。
- 「苦しい道こそ正しい」という思い込みが、人を消耗させる。燃え尽きは勲章ではない。
- 押しつぶされそうな時は状況のせいでなく、頭の中で勝手に難しくしているだけかもしれない。「これは簡単にできないか?」と問い直す。
- 力を抜くのは手抜きではない。完璧主義という重しを捨て、不格好なままでも最初の一歩を出すこと。飾りの完璧さは手放し、本当に大事な一点にだけ、ひと手間をかける。
- 月曜の一歩:いま「難しい」と思っている作業をひとつ選び、「これは簡単にできないか?」と一度だけ問うてみる。
力を入れるほど良いものになる。長くそう信じていたから、楽をすることにはいつも後ろめたさがついて回った。だが私の力みはたいてい完璧主義の別名だった。最初から立派なものを出そうとして、かえって何ひとつ出せなくなる。今の私はまず六割で形にして、走りながら直すようにしている。情けないようでいて、これがいちばん続く。毎日の読書も同じで、気合いを入れた月ほど続かず、肩の力を抜いた習慣だけが、何年も残った。力を抜くのは怠けることではない。続く側を選ぶことだ。本書はその許可証のような一冊だった。
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